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時節の雑感・アーカイブ【1】 (坂東 正康)

「時節の雑感、札幌にて」へ


域外移動

北海道新聞の購読者でないという事情もあって、インターネットで偶然見つけるまで
知らなかったのですが、「前へ!」という2006年のシリーズ記事に2年半近く経過した
時点で出会いました。

いろいろと刺激される部分のあるシリーズ記事ですが、そのなかに、北海道から出た
がらない若者についての記述があります。外に出たがらない、北海道に残りたいという
気質が、若い労働人口を蓄積し、それが自動車部品メーカーやコールセンターの優秀な
人材供給につながったという話です。

僕は散髪は配偶者と同じお店(つまり、オヤジのやっている理容店ではなく、美容院)の
お世話になっているのですが、お店の従業員である20歳台前半の男の子や女の子に
聞いてもたとえば原宿や青山で修行してくるといった指向性はほとんど見られないようです。
東京は観光旅行や買い物の場所かもしれませんが、働く場所ではないとのことです。

香港系中国人の知人がいました。香港に出張した折に一緒に働いた仲間です。香港が
中国に返還される前にその知人の一家は、両親と兄家族がカナダに、本人家族は
米国に、弟家族はオーストラリアにとバラバラな地域に移住していきました。一定の
共通項はありますが、異なった地域への移住という危険分散です。どこかの国が悲惨な
状況になっても他の国が元気であれば家族はお互いに助け合えます。華僑系の
人たちは本当に強いとそのとき実感しました。


ちょっと、びっくり

家族の付き添いで患者側の立場としてはまったく初めて大学病院の外来
というものに、先日、足を踏み入れました。今まで、友人や知人のお見舞い、
あるいは以前の仕事の関係で大学病院の病室や病棟やその他の業務
関連の場所にお邪魔したことはありますが、受付カウンターや会計カウンター
などが正面に広がった広大な待合室空間に患者側として身をおくのは今回が
初めてです。

インターネットで調べても受付手順がよくわからないので、受付開始時刻の
前に行ったのですが、その後、いろいろと驚くことになります。その驚きは、
他の場所ならそういう反応をしなかったのかもしれませんが、いわば予期
せざるITとTQCの組み合わせが目の前に出現したためです。

銀行の支店だと、入ったところでベテランのたいていは女性の行員が
入ってくる客を一瞥し、客の用事を聞き出し、客を窓口に案内し、あるいは
番号札を取る前に書類に必要項目を書き込ませたりして業務の流れが
スムースになるように「パイプの入り口」で頑張っていますが、システムと
しては同じものがそこにはありました。

受付開始時刻になると、それまで「開店準備作業」をしていた受付カウンター
や会計カウンターや少しバックヤードの担当女性職員の方々が一斉に
立ち上がって患者というお客に向かって「おはようございます」。

患者にとっては最も重要なその後のプロセスについてはここでは興味の
対象外なので省略しますが、一緒に入っていった採血室などは、採血対象の
チェック機能を含め、まるでハイテク製品のセル型生産ラインを見るような
感じでした。

診療終了後の処理も気が利いていて、病院ATMと呼んだらいいのか
病院POSというべきか、何台か並んだその機械では、支払い処理と診察
カードを使った次回予約確認処理を同時にこなしています。定期的に大学
病院を利用される方にとっては当たり前の光景かもしれませんが、こういう
環境がはじめての僕たちにとっては、ちょっとびっくりです。「なかなか、
やりますね。」というのが素直な感想です。


二つの花瓶

生まれた国には関係ないのですが・・・

とてもうるさく花を選ぶ花瓶があります。その器の色の影響が大きいのですが、
華やかな黄色しか受け付けてくれません。白だとさびしい感じになり、赤だと
ちょっとうんざりといった仕上がりになります。このうるさく花を選ぶ花器は、
花のない時の方が生き生きしているようにも見えます。それはそれでいいのかも
しれません。これは台湾生まれ。20年位前に台北で衝動買いしたもの。

どんな花でも受け入れてしまう花瓶もあります。現在、玄関で活躍中の透明の
ちびデブガラス花瓶がそれで、我々が買う類の花だと何でもそれなりの調和状態
を作り出します。これはフランス生まれ。

どちらの花瓶が、本当は、世界と溶け合っているのだろうと考えたりします。


ネアカの雪

札幌の冬の天候で面白いと思うのは、雪がネアカだということです。

50~100メートル先がまったく見えなくなる大雪の日やそうした時間帯を
別にすると、割りに高い確率で、雪および晴れといった状態の天候が出現
します。

太陽がぼんやりとその顔をのぞかせながら、軽い乾燥した雪が
地面に落ちるのを嫌がるように空中をふらふらと結構な量で舞っている。
北の空や西の空は暗い色で雪模様なのに、東には青空が見えている。

新潟出身の方の冬の話などと比較すると、札幌では人々が雪でネクラに
ならないような采配がほどこされているような気になります。


事業・家業・仲間業

事業・家業という区分があります。事業はゴーイング・コンサーン(継続体)として
売上と利益の極大化が目的、極端な例はハイリスク・ハイリターンのハイテク
ビジネス。家業はそこそこの生活ができるレベルの売上・利益の確保と経営者
のやりがいが目的。

事業の視点で家業を見ると、家業はいつまでたってもビジネスのアマチュア、
ビジネスをやる気があるのかないのかよくわからんということになりますが、
継続する家業は地に足が着いているともいえます。なりわいの哲学がしっかり
していたら、家業の方が粘り強くしなやかかもしれません。

女性が経営するビジネスにはまるっきりの事業も事業的なものも、家業も
家業的なものもありますが、どうもその中間領域の仲間業といったものも
見受けられます。

SNSのようなインターネット媒体を使い、主婦や働く女性を会員・自由参加者と
いった形でルースに組織化し、企業の新製品や新製品アイディアに対して、
プロジェクトごとに参加者を募り、そうして、参加した女性の意見やコメントを
まとまった形に整理し、当該顧客企業にフィードバックし、それを収益の中心とする
ビジネスがありますが、これは仲間業といえそうです。Communication,
Collaboration, Communityの3つの要素を基盤としたビジネスです。

理屈上は男性でもできるのですが、そういう話は聞こえてきません。


混雑した美術展

美術展やその他の展覧会の会場が混雑しているときの僕の鑑賞の流儀に
ついてです。

誰もいないお気に入りの美術館や是非行ってみたい美術展をゆったり一人で
歩き回れたら、これは至福のひとつです。、天候や時間帯やその他の要素が
偶然ほどよく配合され、それに近い状況に稀に遭遇する時があります。
それはよほどの幸運が訪れたか、あるいは世間的には(自身にとってはでは
ありません)よほど人気のない展覧会を見に行ったかのどちらかです。

常設展はそれに近い雰囲気の良さを時々味わわせてくれますが、そのためには
空白の時間がポコッと半日くらい、美術館の場所によっては丸一日必要です。
贅沢な時間のとり方です。

さて、会場が混雑しているときには・・・思い返してみると、これは混雑して
いない会場でもどうもそうしているみたいですが、入り口から出口の手前まで、
まず、ザーと全体を見ます。混雑がひどい場合には近づけない作品もありますが
それは仕方がないと諦めます。一巡後、入り口の手前まで戻り、2回目は、
1回目で気に入ったもの、時間をかけて見たいもの、気に懸かったもの、
人だかりでまったく近づけなかったものだけに時間をかけます。「かける時間」には、
その作品の前で佇む時間だけではなく、その作品に接近するための物理的な
待ち時間と我慢も含まれます。

こういう方法だと、僕の場合は、混雑した会場と折り合えます。


ハシゴ

美術展を5つ、1泊2日でハシゴしました。結構な体力が必要です。腰の痛みと
筋肉疲労が残りました。一部を除いて、どの美術展もアクティブ・シニア層の奔流で
その勢いに圧倒されそうでした。僕も広義の分類上はその一員ということになるの
ですが、自分のことはさておいて。

で、そのハシゴの内訳ですが、移動の効率性から、初日はピカソ展(国立新美術館)
ともうひとつのピカソ展(サントリー美術館)。2日目はボストン美術館浮世絵名品展
(江戸東京博物館)、ヴィルヘルム・ハンマースホイ展(国立西洋美術館)、最後が
大琳派展(東京国立博物館)の順番。

それだけのお金や家や部屋を所有しているかどうかとは全く無関係に、その絵を
自分の部屋に飾りたいかどうかという基準で絵を見ていることがあります。
ハンマースホイのストランゲーゼ30番地の室内画のどれかを自分の部屋に
飾りたいか。うーん。ちょっと考え込んでしまいます。1年に1ヶ月だけ、季節は特定
できませんが、そういう気分になったときに壁にかけてみたいなとは思います。

数年前に出光美術館で俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一の三人の風神雷神図屏風
を横に並べて同時に展示したのを初めて見ましたが、その三人の創り出す空間の
なかで抱一の存在感が薄かったのと、光琳の燕子花と比べると抱一の同じ題材の
迫力も弱かったので、彼には薄い印象しか持っていませんでした。しかし、大琳派展
では、抱一の作品展示にも相当に力点が置かれていて、今までの僕自身の抱一に
対する偏見を打ち消してしまう「夏秋草図屏風」のような作品も多く、2日目の午後から
僕の中で抱一の好感度は急に上昇しました。こういうときはちょっと嬉しい気分に
なります。

「ボストン浮世絵名品展」会場の駐車場には、十数台の観光バスがとまっていました。
この会場にお客を大量輸送したのでしょう。こういう形で人々と向き合うのが、
江戸時代にブロマイドの役割も持っていた浮世絵の最も望む姿かもしれません。


素朴な違和感

日本で米や食料を作るのは生産性の点から不合理で、日本は工業的なものに
特化した方がいい、食料は輸入すべきだと、比較生産費や比較優位を援用
した議論を展開していた人たちがかつていました。テレビの討論番組でも幅を
利かせていたと記憶しています。当時から違和感を感じていました。経済学の
前提や射程距離に疑問を抱かない人達だなあという思いから出てくる違和感
です。

生産性や価格といった基本的な数値パラメータに、品質や安全という質的パラ
メーターが加わった場合に、あるいは食べ物はできるだけ自給しようといった
考え方と、いわば思想的に対峙したときに経済学の弱みが現れるようです。
それは経済学の守備範囲外という経済学者の考え方もあり、確かにその通り
かもしれませんが、経済学者は多方面の事柄に結構おしゃべりなので、具合が
悪いときの自己限定は、説得力に欠けるようです。

経済学は、実際には存在しない状況を議論の前提にすることが多く、そういう
最初のボタンの掛け違いは議論が複雑化するにしたがって忘れ去られてしまいます。
完全競争だとか、市場関与者は市場について全員が完全な知識を持っていると
いったどこか不自然な人工的な状況前提がその典型例ですし、経済的な効用の
増大は人の幸福の増大を妨げないというのも別の例です。

経済的な効用をどう捉えるかによっては、この前提が胡散臭いものになります。
価格の安さは品質や安全と絡むので、価格の安さがもたらす経済的効用は
必ずしも我々の厚生を高めないのですが、他の条件が等しければ、という便利な
言葉で価格以外の要素を排除してしまうと、そういう状況が現実には存在するか
どうかは別にして、この前提は成立します。胡散臭いとは、そういう意味です。

公定歩合(米国の場合だとFF Rate)を切り下げると景気は上向きに刺激される、
公定歩合を上げると景気は下方向に抑制されることになっていますが、例えば
過去8年間の米国の「FF Rate」と「S&P500」(幅広い銘柄を対象にした株価指数)
を2001年からプロットしてみると、その考えどおりに動いているのは2003年半ば
から2004年の終わりまでで、それ以外の6年間半はまったく逆の相関を示して
います。つまり、FF Rateの切り上げと株価の上昇が連動し、株価の下落とFF Rate
の切り下げが連動しています。

こういう事態になるのは経済がバブル状態だからと言われています。教科書通り
に公定歩合と株価が動いたら、そのときバブルが本当に終焉したのでしょう。

ある主張や議論に素朴な違和感を感じたときは、その違和感の出所や違和感の
理由をうまく説明できなくても、当面はそれを持ち続けることにしています。


抑制

すこし酔った状態で「ちあきなおみ」のアルバムを1枚1年ぶりに、
そして続けて、やはりすこし酔った状態で「新井英一」のアルバムを1枚、
7-8年ぶりに聞きました。

「ちあきなおみ」のアルバムは「Virtual Concert 2003」、「新井英一」の
アルバムは「オールドファッション・ラブソング」。

「ちあきなおみ」の上述のアルバムは「朝日のあたる家」と題されています。
The House of The Rising Sunです。この曲がなければ、このアルバムは
僕にとってはもっと好ましいものになります。

若い時の膨らみすぎた情念が年齢の渋みや経験の重みで自ずと押さえ
込まれ、その結果として現れる表情が、僕にとっては、このアルバムの
中を流れる基調です。「東京の花売り娘」や「黄昏のビギン」のゆったりした
ジャズの味わいがその基調をもっと確かなものにします。

このアルバムに収められている「朝日のあたる家」の荒々しすぎる情感は、
このアルバムの確かさや滑らかさをちょっと阻害しているように僕には
感じられます。別の機会にジャズ・ミュージシャン出身と思われるカルテットか
クインテットと一緒にライブ録音した「朝日のあたる家」の方は情感が抑制
されていて、僕はこちらの方がはるかに好きです。レコード会社関連の
著作権などの制約があるのでしょうが、この二つが入れ替わっていると
よほどよかったのにと勝手な仮定法過去完了思考をしてしまいます。

「新井英一」の「オールドファッション・ラブソング」は小さなコンサートホール
やライブハウスで聞くにはいいかもしれませんが、部屋の再生装置で再生
するには声に含まれるものが重すぎるようです。その重い感じが、
「清河への道~48番」を思い出させました。かつて、深夜に大きな音量の
ヘッドフォンを使って聴き、曲の終了後もなかなかヘッドフォンを取り外せ
なかった、そのアルバムです。

「ちあきなおみ」さんは、今、どうしているのでしょう。ちあきさんの現在の年齢が
歌わせる歌をもう一度聴いてみたいと思います。


味の温度差

北海道は加工技術が弱いといわれていて、それに肯く北海道の方も多いので
屋上屋を架すような議論にならないように注意して、自分の舌で確かめた
食べ物、正確には一次産品を加工した食べ物の話だけをします。種類によって
味に温度差があり、温度の低いものをこのまま放っておくには「もったいないなあ」
という気持ちからです。

比較する相手は、日本でとてもおいしいといわれており自分でも味わったもの、
ないしは回りの評判とは関係なく自分でおいしいと判断した地域のもの。
たとえば、蒲鉾なら小田原の某商店のもの、ダシ昆布なら福井の某商店のもの。
5点だと日本中で「自信を持ってエヘンのレベル」、4点だと「おいしいのだけれど、
威張るほどではない」、3点だと「まあまあ、つまり、日持ちのしないものは仕方なく
そこから買うけれど、日持ちのするものだとそこからは買わない、よそから買う」、
2点だと「二度と、決して買わない」。

動物系、植物系(穀物系、果物系、海藻系)、魚系とグループ別に見てみます。

<動物系>
バター: 5点、 チーズ:5点、 ハム&ソーセージ:5点

<穀物系>
麺(ラーメン):5点、 スパゲティー:4点、納豆:3点、豆腐・厚揚げ:4点

<果物系>
ワイン:4点

<海藻系>
ダシ昆布:4点

<魚系>
練り物(蒲鉾など):2点

いい素材に恵まれ過ぎているせいで加工に熱意がないのか、なぜか魚の練り物が
訴求力を持っていません。

<番外篇>
天麩羅(カウンターで食するとき):3点 (素材は最高なのですが・・・)

ウイスキー:5点

それから、僕は以前からウイスキーが好きでいろいろと飲み歩きましたし、
若い時分にイギリスのとあるバーで、"On the rocks."と注文するとバーテンダー
が侮蔑の表情を穏やかに浮かべて"With ice?"と問いかけてきた後ぺらぺらの
氷を一枚グラスに浮かべてくれるとというトレーニングも受けましたが、ウイスキーは、
最近は、創業者の名前がついた余市のものをもっぱら愛飲しています。


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配偶者の、「もったいないので」(3)

ダシをひいたあとの鰹節と昆布をみじん切りにして、そこに梅干のきざみと胡麻を
加えて炒る。塩と醤油で好みの味に整えると、自家製ふりかけの出来上がり。

羅臼のダシ昆布をそれなりの枚数使ったときには、食べやすい幅と長さに切りそろえ、
時には山椒なども入れて醤油ベースで味付けをすると即席佃煮の完成。

炊きたてご飯といっしょにどうぞ。


配偶者の、「もったいないので」(2)

使い込んだバスタオルは、玄関などの床拭き雑巾に最高だそうです。
ただし、適当な大きさにするのにハサミでジョキジョキと切ってしまうと、
裁断部分がほつれて糸くずが出るので、最初にハサミで小さな切込みを
入れ、後は頑張って手で裂くのだそうです。

以前、一時期定期的に滞在したさる外国のホテルの男性掃除係りが
使っていた掃除用具一式ワゴンのなかに、適当な大きさに引き裂いた
使い古しバスタオルが何枚もセットしてあるのを見たのがきっかけとのこと。


初夏の花、冬の花(その後)

『札幌の公園ではパンジーは3月から夏まで咲いています。
春から初夏の花です。
東京では10月から3月までがパンジーの季節です。冬の花です。
冬のビル街の花壇で元気な姿を見せます。
(中略)
秋から初冬にかけて、外気温がマイナスになるまでの2ヶ月くらいの
彩りを楽しむために、今年は富士山麓の園芸農場から結構な数の
パンジーが我が家にまもなく届きます。』

と、以前に書きました。

写真は現在の姿です。札幌でも晩秋にパンジーが楽しめます。
街中に花のない時期の我が家のかわいい主人公です。




配偶者の、「もったいないので」(1)

スーツや上着やズボンやスカートやコートをクリーニングに出した
時には衣類が透明のビニールカバーに覆われて戻ってきます。
季節のものをクロゼットに収納するときは、繰り返し使える不織布の
カバーに取り替えるので、その透明ビニールカバーは要らなくなります。

ビニールカバーの端を縛り、内側から外側にひっくり返して (inside out)
形を整えるとペットボトルなどの軽い容器向けビニール袋の出来上がり。
その袋に、空になったペットボトルをしっかり積めてごみ出し場にもって
行きます。もって行くのは、いつの頃からか、僕の役割です。


ハーブの香り

外出するときは、仕事であれレジャーであれ、即席の自家製おしぼりを鞄や
バッグに放り込みます。配偶者が用意してくれることもありますが、たいていは
自分で作ります。

作り方は簡単です。用意するのは30センチメートル角の白いタオルと、
ジップロックの最も値段の安いビニール袋とハーブのエッセンシャルオイル。
タオルをビニール袋に入る大きさにたたみ、少し広げ戻し、エッセンシャル
オイルを好みの量だけ振りかけ、またたたみ、水道からの細い水で
タオルを湿します。水分が多すぎたときは、オイルが無駄にならないように
用心しながら、ゆっくりと絞ります。形を平たく整え、ビニール袋に入れて
即席おしぼりの出来上がり。

暑い日やちょっと汗っぽいときに顔や手や首筋を拭くと爽快感でほっとします。
香りを吸い込んでもいい気持ちになれます。僕の好みのエッセンシャルオイルは
ローズマリーとユーカリとラベンダーで、その日の気分でどれかを選択します。

会議室での休憩時間や、列車の指定席に着席したあとなどに、その即席
自家製おしぼりを使っていると、ハーブの香りがかすかに回りに漂います。
香りの漂ったあたりから、女性の視線が感じられたりもします。


合成の誤謬

経済学の教科書にはたいてい「合成の誤謬」という物の見方の事例が出て
きます。個々の家計や個別企業にとって正しい行動が、全体としては
(その総和としては)、悪い結果を生み出してしまうといった内容です。

不景気だと各家庭は無駄遣いをやめ、出来るだけ貯蓄をします。各企業も
金融機関からの借金をやめ、すでにある借金もできるだけ返済しようと
します。その結果、国の景気はその分さらに冷え込みます。この視点で
過去15年以上の日本のデフレ不況と、アメリカのサブプライムローンから
派生した現在の金融危機を見事に分析して見せたのがリチャード・クー氏の
「日本経済を襲う二つの波」だと思います。

「合成の誤謬」ではありませんが、それに近い間違いを僕たちはどうも
結構な範囲で犯しているようです。

日本の森林の保護・育成のためには、森林の間引きや通常の木材加工で
生み出される端材を割り箸としてどんどん消費したほうがいいようですが、
森林保護のためという理由で割り箸を嫌ってマイ箸を好まれる人たちが
います。石油のどうしようもない廃材的な部分を利用して作っているのが
(今は有料化された)スーパーなどのレジ袋ですが、石油のそれよりはもっと
良質の部分でしか作れないエコバッグを好まれる方々もいます。
ダイオキシンはかつて猛毒ということになっていましたが、人間にとって
昔馴染みのどうということもない物質だということが、段々と、イタリアのある町の
繰り返して欲しくない経験も踏まえて、実証されました。

最近読んだ論文で刺激的だったのは渡辺正氏(東京大学生産技術研究所教授)
の「CO²が世界を救う」(文藝春秋2008年11月号)。以下は最後の一節からの引用です。
『しかし、地球温暖化はCO²のせいだ、という単純な物語からいったん離れて、
そろそろ冷静に考えるときが来ているのではなかろうか。私としては、地球と人類に
優しいCO²が増えるのならば、少しぐらい気温が上がってもいいじゃないかとさえ
思っているのだが。』


アクティブ女性シニア層

週日の遅めの昼食を、たとえば駅ビルのレストランフロアでとろうとすると、
たいていの気の利いたお店は30歳くらいから60歳くらいの女性で非常に
混雑していることに気づきます。とても不況の最中にあるとは思われません。

配偶者が10年以上面倒を見てきたセント・ポーリア30鉢を、事情があって、
手放すことにしました。そのまま処分するのはかわいそうなので、パンフレット
でしか知らないセント・ポーリア愛好会の会長宅(女性)に配偶者が電話をし、
背景を説明して愛好会で引き取ってもらえるかどうか尋ねてみました。
「わかりました。何とかします。」という返事で、その返事も即答だったのですが、
その後の連携した動きが驚くほど速い。

次の日、愛好会の副会長から「会長は時間が取れないので私たちが
2時間後に引き取りにいく」という電話が入り、2時間後に軽自動車で現れたのは、
65から70年配のお二人の女性。運搬のために手提げ紙袋などにつめて
準備してあったセント・ポーリアを車に運び込むのに5-6分。我々の依頼は
それで完了。主に、新しく加入された会員向けの教材に使うのだそうです。

それにしても、すばらしい対応スピードでした。誰が考えたネーミングかは
知りませんが、まさにアクティブ(女性)シニア層です。


わっと叫んで

そのときはまったく自覚していない若気の至りに後年気がついて、恥じ入る思いに
なることを、「わっと叫んでロクロ首」と若干グロテスクに表現したのは、たしか、
梶井基次郎(「檸檬」や「桜の樹の下には」などの短編を書いた大正から昭和初期の
作家)だと思いますが、僕の思い違いかもしれません。吉行淳之介のエッセイで
梶井基次郎に関するそういう一節があったような記憶もあるので、吉行淳之介の
文章と勘違いしている可能性もあります。

「わっと叫んで」の正しい出所は別にして、「桜の樹の下には屍体が埋まっている」
という書き出しで始まる梶井基次郎の掌編のことは毎年桜の季節が来るたびに
思い出します。桜の花があんなにきれいなのは、桜の樹の下に屍体が埋まっている
からだそうです。

インターネット関連の無料セミナーに参加しました。僕は聴く側です。

1時間の講演が2つです。2つ目は以前からちょっと気になっていた内容だったので
楽しみにしていました。最初の講演は聞こうかどうか迷っていましたが、途中から
会場に入っていくのも気が引けるので、両方とも拝聴することにしました。

最初の講演は、開始後5分で、残りの55分間のつぶし方に迷うことになりました。
昨晩の睡眠不足を補うか、宿題を片付けるか。うとうとすることに決めました。
2番目の講演は、期待通りの内容で、僕が仮想していた部分も事実で明快になり
とても満足でした。

聴く側は、無料セミナーといえども、わがままです。講演内容が退屈だと眠って
しまいます。なかにはそのまま席を立って会場を後にされる方もいます。
以前、しゃべる側で結構な量の時間とエネルギーを使ったこともありますが、さて、
今まで聴く側の方々に何回くらい「うとうと」のための時間帯を提供したかと思うと、
「わっと叫んでロクロ首」です。


繰り返し購入と紹介

その製麺会社は、腰のしっかりしたおいしい麺を一般消費者向けにも販売している
ので僕たちも「繰り返し購入者」ですが、しばらく前に(僕たちが気づいたのは
しばらく前なので)北海道の素材だけをつかったラーメンパッケージが発売されました。
以前から、おいしくて、かつ北海道小麦100%の麺というものはどうして
売っていないのかと不思議でしたが、輸入原材料の高騰や国産食材・食品の
再評価もあってこういう商品政策がやっととれたのでしょう。

そのラーメンパッケージ商品は味噌味と醤油味と塩味の3種類で、麺だけでなく
スープ素材がそれぞれ北海道の豚と味噌、北海道の鮭と醤油、北海道の鶏と塩
という組み合わせになっています。パッケージには素材産地を書いてありますが
ここでは略します。このパッケージ商品の北海道小麦麺の食感が実にすばらしい。

僕たちの勝手な好みは、塩、味噌、醤油の順番。

この商品の開発者には怒られそうですが、僕たちは僕たちの勝手な事情から
袋に入ったスープから油部分はできるだけ抜くようにしています。それでも十分
満足です。野菜をたっぷり追加しますが、基本味の違いに応じて野菜にバリエーション
を持たせます。

販売やマーケティングの最も高次元の課題は、「繰り返し購入と紹介」プロセスの
実現です。つまり、そのお客に繰り返し買ってもらうこと(同じ商品、ないしは別の商品、
あるいは、もっと値段の高いもの)と、そのお客がほかの見込み客を紹介して
くれること。このプロセスを継続的に定常化することが一番難しい。

僕たちはこの会社の商品の「繰り返し購入者」であり、この雑感を何人の方が
お読みかわかりませんが、僕はここで図らずも「商品紹介者」という役割を
演じています。この会社にとっては、僕はどうも、結構良い層のお客となっている
ようです。


痛い思い

以前、肩の具合が悪くなったときにしばらくレベルの高い整体サービスの
お世話になったことがあります。整体という言葉以外の用語を知らないので
整体という言葉を使いますが、要は、体の具合を元通りの健常な状態に
直すための複数の技術から構成される技術サービスです。目的が体を
本来の良好な状態に整えることですから、その技術サービスを受けている間は
心地いい状態からは遠く隔たった状態に置かれます。お金を払ってどうして
こんなに体のさまざまな部分で痛い思いをしなければならないのかというのが
正直な感想です。出張中のホテルで頼む就寝前マッサージをとはコンセプトが
まったく違います。

配偶者の付き添いで、別のレベルの高い整体サービス院(これも
正確な表現ではないと思いますが)に行ったこともあります。共通した特徴は、
女性のお客が多いということ。配偶者の前のお客は女性、後のお客も女性、
電話予約を入れてくるお客も会話の雰囲気から女性のようです。
僕がお世話になったところでもそうでしたが、80%近いお客は女性かもしれません。

女性は、健常な状態に戻るためなら痛みを我慢できる、痛みを楽しめると
いうことでしょうか。

オヤジが愛好するのは、ホテルやスポーツクラブのそのまま眠ってしまいたく
なるような痛くないマッサージ。

同種のサービスに対する出費の目的が、男女間でこれほど異なっている例も
珍しいと思います。


見ればわかるよ

僕が駆け出しのころ、図体のでかいコンピュータから自作のプログラムで
打ち出した在庫分析の資料などを見ていたら、そばを通りかかった別の部署の
ふたまわり近く年長の方がこうつぶやいて通り過ぎました。「コンピュータを
使わないと分からないかねえ。倉庫を歩いて一巡りすれば、結構細かい
在庫状況や売れ筋までつかめるよ。」

札幌市内のオフィスの空き室率の上昇が止まらないという大き目の記事が
グラフつきで経済新聞に掲載されていましたが、結構以前から、夕方になっても
明かりのまったくつかないビルのフロアーや、ビル入り口の入居企業一覧表に
ぽっかりできた空白スペースが結構目立つようになっていました。
ナショナルブランドの企業名が急にプレートから消えていたりもします。
そんな眼に見える状況からオフィスの空き室状況のグラフはアナログ的には
描けます。

以前、「100、75、70、65、50」という数字を使っていたことがあります。
営業担当者の平均的な地域別生産性といったものです。営業担当者を
入れ替えてもこの数字は、マクロな意味合いの数字なので、3年や4年では
変化しません。

現在、65や50の地域に、特に眼に見える形で、影響が出ているようです。


中年好みの味

女性について論ずるのではありません。
論ずるのはアップルパイと餡子(あんこ)です。

今は10月の上旬ですが、紅玉(こうぎょく)りんごが出荷され始めます。紅玉は
小ぶりで真っ赤で甘みが少なくてすっぱいので、まるかじり(である必要は
ありませんが、丸齧りを含めてそのまま食べる)りんごとしてはまったく人気が
ありません。しかし、アップルパイにすると、そのほのかな甘みとすっぱさが中年好みの
穏やかな味を作り出します。砂糖は禁止。子供の味になってしまいます。

大きい四角形のものや、丸いちょっと大きめ一口サイズを作り、自宅用として
楽しむだけでなく、日頃お世話になっている方たちにも楽しんでいただきます。
「あのヤロー」という思いを抱いた方には決してさし上げません。
経験上、30歳前後、ないしもっと人生経験を積んだ女性に最も歓迎されるようです。

和三盆(わさんぼん)という日本のお砂糖があります。徳島県と香川県の接する
ごく一部でしか生産されていませんが、竹糖と呼ばれる細い砂糖黍(さとうきび)
から作ります。確か、11月下旬から12月が収穫時期です。
上品なとても穏やかな甘さの砂糖で、調べたことはありませんが、多分京都の
和菓子屋さんが一番のお客様かと思います。品揃えが普通以上のデパートなら
どこでも置いてあるので(ただし隅の方に)簡単に手に入ります。

我が家では和三盆を使って餡子(あんこ)を作ります。そのまま丸めてお茶菓子として
抹茶と一緒に楽しむのもよし、大福やおはぎとして食するのもよし。


初夏の花、冬の花

札幌の公園ではパンジーは3月から夏まで咲いています。
春から初夏の花です。
東京では10月から3月までがパンジーの季節です。冬の花です。
冬のビル街の花壇で元気な姿を見せます。

札幌のパンジーは生育季節に関係があるのか「のっぽ」です。
東京で見かけるパンジーは札幌バージョンに比べると結構「ちび」です。

秋から初冬にかけて、外気温がマイナスになるまでの2ヶ月くらいの
彩りを楽しむために、今年は富士山麓の園芸農場から結構な数のパンジーが
我が家にまもなく届きます。


同じ窓、別の世界

今は読者もあまりいないのかもしれませんが、必要があって、
カルロス・カスタネダの「ドン・ファン」シリーズの一部を読み返してみました。

カルロス・カスタネダというアメリカの文化人類学者の著作物のほとんどは
彼が出会ったドン・ファンというメキシコのヤキ族インディアン呪術師との
対話です。ヤキ族インディアン呪術師の世界の見方を習うという意味で、
ドン・ファンが先生、カスタネダが学びのゆっくりさで先生をイライラさせる生徒
という立場で書かれています。このシリーズは10冊以上が出版されていますが、
僕が刺激を受けるのは3冊目と4冊目です。

般若心経という短いお経があります。写経というと現在ではこのお経の写経を
さしますし、僕の両親の世代には、これを諳んじている方も多いようです。
般若心経は短いがゆえに余分なものをそぎ落としているので、その内容は
まったくの哲学書、ないしは形而上学的短編です。この形而上学的内容のお経を
多くの人が写している光景を想像すると、日本はちょっとすごいなという
気持ちになります。このお経の要約は「色即是空、空即是色」ということだと
思いますが、この非二元の世界観がヤキ族インディアン呪術師の非二元的な
世界観と重なります。

4冊目の一部を引用してみます(原著タイトルの日本語訳は「力の物語」、
邦訳出版書名は「未知の次元」、訳は名谷一郎氏)。
トナールを「色即是空、空即是色」の「色」、ナワールを「空」と置き替えてみてください。

「トナールは、ただ言葉の上で世界を作るのだ。・・・トナールが世界を
つくるというのは、それがトナールの規則に従って立証し、評価するからだ。
・・・言いかえれば、トナールは、世界を理解する規則をつくりあげる。
だから、言わば、トナールが世界をつくるのだ。」

「ナワールは、わしらのうちにあって、わしらがまったく関与しない部分だ。」
「ナワールは、わしらのうちの言葉で言いあらわせない部分だ。
それにたいしては、言葉も名前も感情も知識もない。」「・・・お前が
とりつかれているのは、あるいは誰しもがとりつかれているのは、世界を
トナールの法則にしたがって整理しようとすることだ。」
「・・・要は、同じ窓の前を通り過ぎる別の世界があるということを、
トナールにさとらせることだ。」


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諦めの色

週に一度程度の運動としては水泳が便利なので、できるだけ毎週泳ぐように
していますが、もっぱら平泳ぎです。クロールは苦手。
きれいなクロールでゆったりと泳ぐ人を見るたびに、いいなあと思っていたので、
女性のインストラクターについたことがあります。10回ほど教えてもらいましたが、
思うようには上達しないし、泳いでいても楽しくないので、頓挫。

なぜ、女性のインストラクターについたのか。

生徒がインストラクターの期待度以下の成長曲線で低迷していると、
インストラクターの目には、諦めの色が浮かびます。インストラクターが女性だと
その眼の表情(や罵詈雑言)にも耐えられますが、男性インストラクターだと、
そのような場面では僕の眼にも嫌な感情が強くあらわれるに違いありません。
それが嫌で女性インストラクター。

ゴルフに興味を失って久しいですが、下手なゴルフをやっていたときには、
水泳と違って、不思議と女性インストラクターのレッスンを受けようという気には
なりませんでした。悩むと声をかけるのはもっぱら男性のインストラクター。
1回だけ女性プロのレッスンを受けたことがありますが、女性の体の柔らかさが
前提になっているスウィングの持ち主に教えてもらってもダメだろうなという勝手な
思いがあったせいか、時間がなんとなく過ぎていった記憶しか残っていません。

水泳のレッスンと女性インストラクター。ゴルフのレッスンと男性インストラクター。
要は、生徒のわがままですね。


お昼のビール

知り合いの観光案内という名目で、小樽にいってきました。

僕の場合、小樽というと作家の伊藤整、小樽高等商業(現、小樽商科大学)と
連想が働きます。一回り年下の友人が小樽商大の卒業生だし、先日お会いした
コンサルティング会社の代表も小樽商大のご出身。伊藤整は僕が二十歳くらい
のときによく読んだ作家の一人です。

今は使われていないか、あるいは1階がお店になっている(旧)銀行本店・支店や
(旧)海運会社支店の建物の造りや内部や並びはやはり見事です。

伊藤整は年表で確かめると、明治38年(1905年)生まれですから
彼が学生として小樽の坂道を歩いたのは、小樽が経済的にもっとも華やかだった
かもしれない大正の終わりころになります。小樽高商の1年先輩の小林多喜二は
旧北海道拓殖銀行・小樽支店に勤めていたとのことですから、彼らにとっては
北のウォール街と呼ばれたこの一画は、思想や気持ちの向きがどうであれ、
日常の一部としての重みをもっていたのでしょう。

遅い昼食は花街の端にあるお寿司屋で。久しぶりのお昼のビールでした。


あっかんべー

故人となって10年以上たつある有名な作家は、
空海の書には音楽的なリズムがあると評しました。

空海は言葉の人です。世界はお互いに(言語を媒介として)響きあっている、
と詠んだ人なので、空海の文を構成する草と行と楷が入り混じった文字の
流れは、未分化の世界が言葉に顕在化する際のそのそれぞれのもっとも
ふさわしい結晶の仕方を、空海の感性と世界観がなぞったものかもしれません。
風信帖の写真版をぼんやりと眺めているとそういう思いがします。

空海も『奥のぼんやり』と『個別の顕れとしての形や名前』を同時に
見ていた人なのでしょう。

風信帖は空海から最澄への返書ですが、後年の二人の確執の強い香りがすでに
濃厚に漂っています。この手紙の背景を説明すると、配偶者はこの返信のことを、
空海から最澄への「あっかんべー手紙」と形容しました。そういう気分の時の方が
筆が走って、存在のありさまが文字の動きに見事に凝縮されるというのは、
空海らしいといえば空海らしいのかもしれません。


朝の廊下

干し葡萄を混ぜ込んで焼いた天然酵母の自家製フランスパンは
僕のお気に入りのひとつで、お世話になった方に差し上げることも多いのですが
たいていは気に入っていただけるようです。(作るのは、僕ではありません。念のため。)

以前、ソフトウェアの会社に勤務していたときに、悪人を牢屋に入れる
ことが主業務のひとつであるとても硬いお仕事のお客様の情報処理部門に、
お歳暮として、この干し葡萄入りフランスパンを持参したことがあります。
情報処理部門のご担当はくだけた方で、「これって、中に金の塊が入ってます?」

僕が最も好きなのは(ハーブの)タイムを混ぜ込んで焼いたもの。
出来上がりのときにとてもいい匂いがします。出来上がりが早朝だと
「3軒両隣」の玄関先までタイムの香りがゆらゆらと漂って行って
その存在をアピールしているとのことです。


物々交換

正確な言葉の使い方だと、物々交換ではありませんが、我が家では
そう呼んでいます。

我が家は配偶者と僕の2人暮らしで、集合住宅に住んでいます。
全体が独立した棟を2つ寄せ集めたような構造なので、ひとつの棟の
同じ階の住宅数は3戸。いわば3軒両隣の集合住宅バージョンです。

よくモノをいただきます。お隣のお隣の奥様からは、
「知り合いでたくさんもらったので、これどうぞ。」と立派な葱や野菜を
いただいたり、「いっぱい作ったので、どうぞ。」と上品な味の和風ごった煮風を
もらったりします。そんな時はお返しに、我が家からは摘みたてのバジルや、
次の日に天然酵母のフランスパンを手にしてチャイムを鳴らします。

すぐお隣は住居内で犬を飼っていますので、我が家でスープストック用に
使用済みの鶏の手羽先から肉の部分を取り出して、その犬の健康食として届けます。
そうすると、小樽の地ビールや僕たちが知らないお店のおいしいクロワッサンが
かわりににやってきます。


大根の皮、玉葱(たまねぎ)の皮

大根の皮は和風サラダ風やキンピラにすると軽いお酒の肴になります。
玉葱の皮(あの表面の茶色い皮)はスープストックを作るときの「画竜点睛」です。

以前よく読んでいた月に2回発売されるマンガ雑誌で、1年ほど前に「玉葱の皮」を
発見しました。配偶者にそのことを伝えると、面白そうだと、早速スープストックで実験。
結果はとても良好。深い味になります。
栄養面でもとてもよさそうです。ただし、大根の皮にしろ玉葱の皮にしろ、
安全のために有機栽培のものに限定しています。

で、有機栽培のものだと皮を含めて全部食べます。
お米は玄米、小麦は全粒粉。お米は5分つき、3分つきもも試しましたが、普段は玄米、
まれに3分つき、スパゲティー類は全粒粉のものか5分つきのものか白いものを
素材パートナーに応じて。パートナーがバジルソースだとやはり白い方が彩りが美しい。

こんな風に書くと僕が自分で料理しているみたいですが、僕は配偶者の料理のプロセスを
ちらちら見ながら、出来上がったものを食べては「うまい」「まずい」
「この料理の出来具合は92点、すごいなあ」「これじゃ、とてもお客さんには出せませんね」
といったコメントを返すだけです。


携帯電話の文字入力

地下鉄に乗っていると、立ったまま両手ですばらしいスピードで携帯電話にメールの
本文を打ち込んでいる若い女性を見かけます。僕には出来ない技なので
ちょっと悪いかなと思いながらその技量を拝見することがあります。
湧いてくるのは軽い劣等感。

しかし、音楽でも情報でも最近のポータブル機器のインターフェースでは操作スピードに
落胆するほどの差がつかないので、「へへへ、しめしめ」と思っていますが、
実際にはもっと大きな差がつくかもしれないいう諦めの気持ちもあります。


ぼんやりしたところから

「花が存在する」といわれると、確かにそこにきれいな花があるのが想像できます。
そこが庭なのかベランダなのか野原なのかはともかく、そこに咲いた花の姿が浮かびます。
しかし「存在が花する」とそれまでの主語と述語の位置を逆にされると、
一瞬わかった気になりますが、その一瞬の後は、納得のいくイメージがどこにも
定着していないことに気づきます。

そんな話を、ある女性経営者としていました。

ジャズピアニストのキース・ジャレットはソロの即興演奏のとき、どこから最初の音の
つながりを持ってくるのだろうという話のあとに出てきた話題です。

ぼんやりしたところから、音の形が現れ、ぼんやりと薄暗いところから、
ものの名前が現れるのかもしれません。

「普段はそんなことを考える必要はないわね。」
「うーん、『ぼんやり』と『形や名前』を同時に見ているうらやましい人たちがかつていたし、
今もいるということかな。」


言葉の響きと映像イメージ

老子は、道(タオ)を水や谷や女性に喩えるのが好きです。それらは、しなやかで受身で、
そして強い。

荘子には、僕の記憶している限り、女性は登場しません。この差がどこからくるのか
よくわかりません。荘子に登場するのは、とてつもなく巨大な鳥と、巨大な魚と、
夢の中の蝶々と、かわいそうなのっぺらぼうと、地の唸り・天の唸りと、
悪口の対象としてのある有力学問グループ。

『玄のまた玄、衆妙の門』。老子の一節は言葉の響きを記憶に残し、
荘子は夢の蝶・蝶の夢といった鮮やかな映像イメージを心に残します。

老子の最初の部分にこんな一節があります。
『名無きは天地の始め、名有るは万物の母。』
これと『空即是色』が重なります。
他の文化にも同じ世界の捉え方があるようです。


見習い中の女性

それまでは理容室しか利用したことがなかったのですが、数年前に配偶者に連れられて
美容室に行くようになりました。散髪の話です。

「どんな形にしましょう」と尋ねられて、好みを答えても結局は自分の決めた形にしか
調髪しない「理容室のオヤジ」の頑固さにも捨てがたいものがありましたが、
美容室の自由さや柔軟さが新鮮でした。

見習い中の女性の洗髪や頭・肩のマッサージに、すこし物足りなさを感じながらも、
しばしほっとします。結構いい時間です。


デパート地下食料品売り場レジでの袋詰め

結構大量に買うし、そのあと持ち歩くことが多いので、デパートの地下食料品売り場で買った
野菜類は紙袋に詰めてもらいます。ただし、魚類や豆腐・湯葉や手羽先などは持参の
簡易保冷バッグに。大根を2本とりんごを6個と人参とジャガイモとキュウリと小松菜と
ピーマンとインゲンとセロリとレタスとトマトをそれぞれ複数個買うと、袋は2つで、そして
やたらと重いです。

さて、レジでの袋詰めです。ここで、デパートによって差が出ます。たいてい2人1組で
レジと袋詰めを担当していますが、トレーニングの差なのか年齢によるセンスの差なのか。
年齢の若い女性をそろえたデパートの方が、結構な差をつけて上手です。
全体を見回して、詰め込む順番をすばやくシミュレーションし、それから詰めていきます。
あまり上手でないところは、僕が代わりにやってあげたくなります。

ある老舗デパートの野菜や魚の売り場は若い女性が一人でレジ1台分を担当しているの
ですが、この方の袋詰めのバランス感覚がすばらしい。いつも感心しながら、たいていは2個の、
重い紙袋を受け取ります。配偶者は支払う係り、僕は少し先にいて荷物を受け取る係り。
よいしょ。


デパートの地下食料品売り場

配偶者の荷物持ちとして主に休日にデパート地下の食料品売り場に行き始めて
15年くらいになります。デパートの食料品売り場の活気が好きです。
小さなお店の集合体。対面販売の楽しさ。魚売り場や野菜売り場の
お兄さんの威勢のいい呼込み。

最近は肉類への興味が少なくなったので、スープストック用の手羽先を別とすれば、
買い求めるのは有機野菜と魚介類と果物、納豆と生麺と湯葉・豆腐の類ですが、
1店では欲しいものが手に入らないないことも多いので、たいてい2店をハシゴします。

夕方6時をいくぶん過ぎてから、値段シールの隣に100円引き、300円引き、
半額といったシールが貼られると少し嬉しくなります。それをじっと見つめる主婦
(と、思われる女性)のお尻などにぶつからないように用心しながら、
新鮮でコストパフォーマンスのいい魚やイカのパックを手に取るのも
なかなかいいものです。


タクシーの女性運転手

行きたい方向のタクシーがなかなか来ない時に、ちょうど逆方向から来たタクシーが
僕たちを見つけて、運転手からみて右に入るのかUターンなのかを
手を大きく動かして尋ねてきました。女性の運転手でした。

僕も、Uターンと腕で合図すると、タクシーは鮮やかにUターンし、そばに停車しました。

配偶者によれば、ああいうさっと腕で尋ねるセンスは男性運転手にはないのだそうです。


北海道は梅雨

北海道には梅雨がないことになっています。

今年の7月下旬から延べ2週間程度続いた気候、しとしとと一日中降り続く雨、
うっとうしい暑さ、ミニスコールのような短時間の激しい雨、
そして羽織るものがないと辛い時折の肌寒さ、
東京や大阪の人ならためらいなく梅雨と呼ぶでしょう。

札幌のタクシーの女性運転手にそういう話をしていたら
「お客さん、北海道には梅雨はないのです。」
深い意見です。しばらく考えて、そういうことにしておこうと同意しました。



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