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時節の雑感・アーカイブ 【2】 (坂東 正康)


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米粉50%のパン

夕方のパン屋さんで、米粉50%のパンを2種類買いました。ひとつは、
食パンで、もうひとつは楕円形の小型フランスパン風です。

時間がたつと風味が落ちるので、さっそく、その夜、他の料理との関連
などは考えずに、とりあえず、それだけを、食パンを半分残してむしゃむ
しゃ。おもち風味の「パン」とも言えるし、パン風味の「ふわふわおもち」
とも言えます。

スープと一緒でもいいし、バターをつけてもいいし、ジャムでもいいし、そ
れから、お味噌汁もいいパートナーになると思います。

買う前に小型フランスパン風を見ていたら、24~25歳と思われる男性
と、60年配の男性が、それぞれ2個ずつ、僕の目の前でトレーに追加
しました。明日の朝食べるのか、今日の晩御飯なのか。二人とも男性だ
ったのが僕の興味を引きました。

楽しい味と食感ですが、歯の弱いお年寄りにはどうだろうかというわず
かな心配が残ります。

翌日の朝、残りの食パンをオーブントースターでトーストしてみました。
おもち風味よりパン風味が強くなりました。とりあえずそのあたりのもの
と一緒に食べる傾向の強い独身男性ないしは単身赴任男性には、特
に向いているのかもしれません。

(Dec 2009)


若い人と三角形

有機農場を営んでいる方とお話しする機会がありました。若い就農希望者
を数年にわたって派遣してもらっているが、長続きしない、どうしてなのか。
お悩みのようでした。

すぐれた職人さんが往々にしてそうであるように、農業技術指導偏重になっ
ていて、ビジネスとしての楽しさを持った農業経営についてお話になってい
ないのかなと思いましたが、そうではない。流通業者との接触や、ときには
直販も必要だとマーケティング的なこと(そういう言葉は使われませんが)も
自己体験に基づいてお話になるそうです。トレーニング中の毎月の手当も
それなりに支給されていますから、問題は別のところにあります。

販促的な話になると、販促活動も農家の仕事なのかと、若い就農希望者は
うなだれる雰囲気になるそうです。それに、有機農業の辛さが加わるので、
「文学的農業」「楽しい農業」のイメージと大きく乖離してきます。

そういうことを頭の片隅に置き、本屋をウロウロしていたら、最近出た人事
関連の本が目につき、ページを繰っているとちょうど参考になるキーワード
があったので、その場で買い求めました。

著者は、人事政策に関して複数の参考になるポイントをまとめていますが、
上記に関連したポイントの一部をまとめると、以下のようになります。

仕事のできる若い人は、やるべきこと、やりたいこと、できることの3点で作
られる三角形を持っているが、そうでない人は、やりたいこととできることの
2点から構成される三角形の底辺しかもっていない。やるべきことは、当初
は自分で設定できないので、組織の上から、あるいはそういう立場の人から
与えられることになるが、三角形の底辺しか持っていない人は、やりたいこと
とできることをはみ出すような「背伸びして片付ける業務や課題」が降ってくる
と、それを否でも応でもでも片付けて、結果としてやるべき軸能力の高さを作
るのではなく、それは僕の(私の)やりたいことではないとその場ですくんでし
まう・くじけてしまう・どこかへ行ってしまう、ということのようです。

だから、仕事のやり方は勝手に盗むものだとか、与えられた仕事をちゃんと
こなしてから文句を言えというのは相変わらず正しいにしても、その人の三
角形の状態とその意味を、何らかの方法で教えてあげるのもいいかもしれ
ません。



(註)上記の本は、樋口弘和著: 「社長の人事でつぶれる会社、伸びる会社」

(Dec 2009)


大根の漬け込み

曇りや雨やまれに雪で日照時間が少なかったので、2週間ほどかかり
ましたが、12本の大根の状態が「への字」というか「軽い逆Uの字」に
なってきて、しなびた感じなので、もういいだろう、ということになりました。
配偶者は、念のためということで、近所のベテラン奥様に紐でしばった
状態の大根を2セット持っていき、判断を仰ぎました。「いいタイミングよ、
少しコリコリしたいいたくあんに仕上がるわ。」とのことで、早速先日調
達した桶と糠と塩で漬け込みにはいりました。追加の2本があるので、
先日の某市場の10本とあわせて12本。

近所の奥様は、初心者が心配だったのか、お手伝いに来てくれて、
糠の量や塩の量、大根の配置について、自身の経験をもとに、的確な
アドバイスを提供してくれます。

1週間くらい放置して、そのあと重石を載せ、途中の様子を見ながら重
石の重量を減らし、そして約2ヶ月で出来上がりです。

「氷点下7~8度のとても寒い夜には、古毛布を掛けてやると大丈夫。」
だそうです。2ヵ月後が楽しみです。

(Dec 2009)



ゆり根のかき揚げ

北海道はゆり根の独占的産地ですが(全国の生産量の99%)、お正月
料理だけではつまらないので、冬の間の日常食材に取り入れることにす
るかどうかを配偶者と相談。簡単なのを作ってから決めようということに
なりました。

先週は、まず、ゆり根のきんとん。ただし、味付けは、ダシと薄口醤油と
ミリンで、甘くないように。ゆり根はやわらかいので、火を通せば勝手に
きんとんになってしまいます。いっぱい作ってくれたので、いっぱい食べ
たら、ちと、うんざり。きんとんは適度な量を楽しまないといけません。

今週は、ゆり根のかき揚げ。ゆり根に銀杏(ぎんなん)と三つ葉を加えた
かき揚げ、あるいは、ゆり根とにんじんと三つ葉。ゆり根のホクホクを味
わうのが目的。色の組み合わせを優先させて、最初は、白と赤と緑の
かき揚げ。

(Dec 2009)



冬のパンジー

明け方が氷点下の寒さになってきたので、今まで頑張って黄色や
オレンジの花を咲かせてきたパンジーももうおしまいか、寒さで凍
って、自然死かなと覚悟を決めていました。一昨日の寒気で、ほと
んど凍ったような状態になったのですが、その中でまだ元気なオレ
ンジ色を一輪、配偶者が室内のとても小さな花瓶に移し変えまし
た。

そばによると、花のいい香りが漂います。1週間は楽しめそうです。

昨晩は、すごい風とすごい雨と、そして幾分暖かな空気が押し寄せ
てきました。妙に暖かいなあと、夜中に偶然窓を開けて、冷凍死状
態だと思っていたパンジーがピンと立ち上がって、黄色い花を咲か
せ続けているのに気づきました。小さな奇跡を目にした気分です。

(Dec 2009)


おおらかな北海道の魚

農林水産省のホームページに「子供相談室」のようなコーナーがあって
なかなかに面白いQ&Aが載っています。以下はそのひとつです。
『・・・』の部分はそのまま引用してきました。

『栽培漁業(さいばいぎょぎょう)と養殖漁業(ようしょくぎょぎょう)の
違(ちが)いについておしえてほしい。(質問者:中学生)

栽培漁業とは、卵から稚魚(ちぎょ)になるまでの一番弱い期間を人間
が手をかして守り育て、無事に外敵(がいてき)から身を守ることができ
るようになったら、その魚介類(ぎょかいるい)が成長するのに適した海
に放流(ほうりゅう)し、自然の海で成長したものを漁獲(ぎょかく)するこ
とです。

養殖漁業は、出荷(しゅっか)サイズになるまでを水槽(すいそう)やいけ
すで育てます。即(すなわ)ち、魚の子供の頃から大人になるまで、人の
管理下で育てられています。

一番大きな違いは、栽培漁業では魚を海に放流しますが、養殖漁業は
魚を水槽などで育て、放流はしないというところです。』

北海道の三大「栽培漁業」品目は、「鮭」と「ホタテ」と「昆布(主に真昆
布という種類)」です。他に「ヒラメ」や「マツカワカレイ」なども栽培漁業
の対象です。少し過去形では「ニシン」も対象でした。

昆布は泳いでどこかに行ってしまうということはありませんが、魚類は鮭
のように回帰性があるものを除くと、どこに行ってしまうかわかりません。
ホタテは泳ぎますが、あまり移動はしないでしょう。海流や海の匂いや
その他の海の生活諸条件が、放流後の稚魚をなんとなく囲い込むの
かもしれませんが、養殖漁業の水槽やいけすを使った「外出禁止」的な
囲い込みとは明らかに異なります。

北海道近くの海を忘れて、東北地方やロシアまでボーケンに出かけ、
そこで遊ぶ奴も出てくるのでしょうが、そういうことは気にしないおおら
かさが栽培漁業には見られます。そういう意味では、そして、特に消
費者側から魚介類や昆布を見た場合には、北海道の栽培漁業は、
その対象が自然の中で勝手に大きくなるので、ほとんど天然漁業で
す。

栽培という漁業の方法がおおらかなので、その対象の魚類もおおらか
だと考えると、その考えは、瀬戸内海の急流を泳ぐ一匹オオカミ的な
印象の強い鯛などと違って、北海道の魚の姿かたちや、大勢の仲間
で一緒に暮らし一緒に人間につかまってしまう性格とよく符合する雰
囲気なので、北海道の魚はおおらかだということにしておきます。

(Dec 2009)


「たくあん」でバタバタ

きゅうりやナスのような小物や輪切りにした大根のぬか漬
けは、ホーロー容器を使って、自家製のものを結構な頻度
で楽しんでいますが、干した大根をまるごとたくさん漬け込
むという本格的なたくあん制作には、我が配偶者もまだ手
をつけていません。近所の奥様が、ご主人が漬物好きなこ
ともあって、毎年大量のたくあんをつくり、その一部がおす
そ分けとして我が家にも回ってきます。

購入したたくあんは、ごく一部のものを除けば、専門店と称
するお店のものでもほとんど感激がありません。近所のお
すそ分けの方がはるかにおいしいといった状況です。

それなりの量をおいしく食べたいので、我が家で作ること
にしましたが、設備がまったくありません。桶はない、重石
もない、それにたくあんに適した大根のストックもない。糠
と塩はある。しかし、糠は足りない。別の目的で買った麻
紐はそれなりにある。これで大根をしばって干せる。でき
たらワンストップショッピングですべてを調達したい。また
できたら、お店のベテランからノウハウも同時に手に入れ
たい。細かいところは、近所の奥様に聞けばよい。で、
某市場(いちば)に二人で出かけました。たくあん制作開
始時期としてはどうもギリギリです。

そこへはタクシーをつかまえていったのですが、どういうわ
けか運転手と市場の話で盛り上がり、どういうわけか料金
の端数をおまけしてくれました。その某市場の八百屋で
大根を買い(恥ずかしながら最小限の10本)、その向かい
の調理道具の雑貨屋さんで20本程度まで漬け込み可能
な設備も調達。雑貨屋のおばさんとお話をしていると「たく
あんはビギナーね。」とすぐに見抜かれ、「笑える質問をし
てくれたから、おまけしてあげる。」と四捨五入すると切り
上がる分をおまけしてくれました。「初心者は失敗しない
から大丈夫。2年目が危ない。」

帰りは、荷物が多いので、その八百屋さんからタクシーを
呼んでもらい、大根の入った箱や重石をいれた持参の頑
丈な布袋や桶やらを運びいれます。タクシーの運転手が
「奥さん、漬物ですか。私は農家の出身だから漬物のこ
とはよくわかるよ。何本漬けるの?え、10本。なんだ、
初心者か、普通は30本くらいかな。あの桶だと20本は
大丈夫。知り合いで60本漬けるのもいるよ。そりゃ食べ
きれないから、近所に配るのさ。大根の葉が多いと乾き
が遅いよ。」

大根を干し終わって、今日で3日目です。札幌は夜中の
雨や雪が多いので、眠っているうちに大根が被害にあわ
ないように、夜は、屋根の下に避難させ、晴れていれば
また早朝に干し場所に戻します。面倒ですが、おいしい
たくあんのためにはいたしかたありません。

(Nov 2009)



焼いたものと煮たもの

「生ものと火を通したもの」「焼いたものと煮たもの」についてです。
この言葉は、ある有名な文化人類学者の言葉を勝手に借用して
きたものですが、もともとの文脈とはほとんど関係がありません。

おでん種についての話です。

ちくわ(竹輪)はおでん種のひとつですが、僕は、できたままを生
で食べるか、焼いて食べる方が好きです。おでん汁の中で煮た
竹輪はどうも間延びした食感なので好みません。

さて、狭い日本とはいえ、新鮮な食材・おいしい食材や生に近い
加工食品はできたら近所で買い求めた方が便利に決まっていま
すが、そういかない場合は困ってしまいます。

おでんは寒い時期の我が家の定番のひとつなので、札幌に越し
てきた年には、好みのおでん種というか、それも含んで、いい魚
の練り物を見つけたいという思いで、色々なお店のいろいろな品
物を買い求めましたが、地元の評判とは違い、どうも満足できま
せん。近所とはいえ配偶者と僕がアクセスできる範囲が限られて
いるからかも知れないとは思っていました。

で、おでんの回数は減り、たまのおでんもその種は東京の某社の
ものを取り寄せているといった状況です。

先日、インターネットで、札幌近辺のおでん種を片っ端から調べて
いたら、ちょっと盲点になっていたのか、基本的に直販店でしか
販売していない練り物屋さんが見つかりました。地下鉄だと、最寄
の駅から、乗り換えも入れて3つ目です。土曜の午後に二人で出
かけました。以前、そのお店の前を通りかかったことはあったので
すが、見落としていました。

おでん種の定番ないしそれに似たものを中心に品揃えをします。
竹輪も買います。合計金額は、配偶者によれば、東京の某社の
ものとほぼ同じだそうです。

早速、その夜はおでんです。昆布や卵や大根はそろっています。

まず、竹輪をオーブンの熱風で軽くあぶって食します。いわば、
前菜です。結構な味と食感です。

さて、肝心のおでん種ですが、大雑把にまとめると、材料はいい
のですが、おでん汁の中でたたずむ風情というか、姿かたちに
違和感を覚えました。姿かたちがボーヨーとしているというか、ボ
ンヤリと膨らんだ感じで美人ではないのです。やはり、凛(りん)
とすべきものは凛としたたたずまいでそこにいて欲しいと思いま
す。食感や味も、煮汁の中の姿かたちと同じで、残念ながらボン
ヤリしたものになっています。

このお店のものは、買ってきたそのままか、焼くか炙(あぶ)るか、
で食べた方が満足感は高そうです。

(Nov 2009)



食卓の光景

「穀物自給率28%の解釈」と題した前の前の項で、穀物の輸入が止まっ
てしまったときの食卓の光景として、「主食はお米のご飯、おかずは魚と
野菜だけ」と書きましたが、その場合、本当は味噌と醤油は入手がとても
難しいのですが、それだと絵にならないので、無理やり味噌と醤油を台所
に常備させると、乱暴ですが、

シミュレーションされた食卓の光景 = 昭和30年代の食卓の光景

シミュレーションされた食卓の光景 = 現在の我が家の食卓の光景
                       ▲ パスタとうどんとラーメン 
                       ▲ 卵(通常食材としての卵)
                        ▲ 手羽先(スープストック用)
                       ▲ バター(アップルパイ用)
                      (註: ▲はマイナスの意味です)

と、なります。

そうなると、どこまでジャンプするかはわかりませんが、米の価格が上昇
し、味噌・醤油の価格が高騰し、そして野菜と魚も需要量の急増で値段が
跳ね上がります。(我が家では、味噌、醤油は国産大豆を原料にしたもの
を常に常備しているので、短期的な品物の確保という点では右往左往し
ませんが、長引くとお手上げです。)

値段をべつにすれば、現在50歳以上の方にとっては、なんとなく懐かしい
食卓光景だと思います。一方、現在30歳の方にとっては、生きている意味
を半分以上喪失してしまうようなメニューかもしれません。

ところで、米・小麦・大豆・とうもろこしなどの値段は、CME(シカゴ商品取引
所)やFAO(国連食糧農業機関)や、またそれらを農林水産省がまとめてい
るので簡単に入手できるので、2006年1月と2009年10月の価格を比べ
てみると、2008年の春から夏にかけての異常な高値(原因は中国など発
展途上国の食糧需要の増大、バイオ燃料向けの穀物需要の急増、そして
そのトレンドを利用して短期の利益を上げようとした投機資金など)は異常
値として別にしても、主要穀物の価格は、それぞれ以下のように、この4年
ほどで、2倍近くになっています。

米: 約1.8倍
小麦: 約1.8倍
大豆: 約1.7倍
とうもろこし: 約1.7倍

日本の製麺業者や酪農業者は、電気分野や自動車分野の下請企業と同じ
ように我慢強くて優秀なのか、こういう原料穀物やその他飼料用穀物の価
格上昇を、利幅を下げながら、何とか吸収してしまったようにも見えます。マ
クロのデフレ傾向とも、製品のリパッケージングというマーケティング手法な
ども使って苦労して折り合いをつけたに違いありません。

一時は、うどんの原価やバターの供給量が騒がれましたが、それらと違って、
お米の値段や需給がいっこうに騒がれなかった・騒がれないのは、お米が
完全に国内自給され続けているからだと思われます。

お米に関しては、1993年から1994年にかけての平成の米騒動と呼ばれ
た米不足の年があり、タイ産インディカ米が緊急輸入されましたが、日本風
の炊き方をすると日本人にはなじまない匂いがするし、そもそも食味がまっ
たく違うということもあり、とても不評で、結果としていっぱい余ってしまいま
した。つまり、国内自給率が非常に高い穀物はそれなりに自助力・自己回
復力があるとも言えそうです。

物事を、鳥の眼と虫の眼の両方で同時に眺めて、そこから自分の考えを導
き出せるといいなと、常日頃、考えていますが、これをマクロ・ミクロという言
葉で代替させるのは、同義語ですが、あまり好きではありません。鳥の眼や
虫の眼という生き物の感覚に近いものを手がかりにすることをより好ましい
と感じているからです。

(Nov 2009)


日本のお米は高いのか安いのか?(続き)

「日本の米の生産者価格(米価)は世界で一番高いが、ご飯(白米を炊いた
もの)の値段は日本でいちばん安い食べ物だ」ということに関して、先月、自
宅で炊いたご飯の値段とパンやお弁当屋さんのご飯の値段などを比較して
みましたが、今回は、その続きで、札幌にある、ナショナルブランドの巨大
スーパーマーケットで関連商品の店頭価格を調べてみました。2009年11月
中旬の価格です。

対象は、「お米」と「スパゲティー」と「生ラーメン」と「乾うどん」と「乾そば」(日
本そば)ですが、普及品価格帯のものを選んであります。どんな結果が出る
でしょうか。

やや小ぶりの丼一杯分のご飯は、炊く前の白米量に換算して100グラムで
す。

麺類は、大人の一食分の分量が100グラムです。100グラム単位で小分け
してあるうどんやスパゲティーの商品パッケージもよく見かけます。

だから、100グラムあたりの値段を比較すると、ご飯(お米)が高いのか安い
のか、結構、客観的な比較データが得られます。

原料は、「お米」と「日本そば」は当然国産ですが、うどんのひとつを除けば、
あとの麺類は輸入小麦を使っています。小麦は9割が輸入ですから、これは
致し方ありません。



いかがですか?

(Nov 2009)


穀物自給率28%の解釈

1970年発行の古い本が手元にあります。経年変化で、全体が黄色く
なっていますが、「日本人とユダヤ人」(イザヤ・ベンダサン著、山本書
店、定価640円)という本です。その第1章が、「安全と自由と水のコス
ト」。そのなかに、駐日イスラエル公使館(当時)の書記官の発言として
「日本人は、安全と水は無料で手に入ると思いこんでいる」という言葉
が引用されています。

最近は、我が家も含めて、一部の飲み水にお金を払うという習慣は日
本にもできてきたようです。これが、お水の豊富な日本にとっていいこと
かどうかは疑問ですが付加価値のある(と僕たちが思う)水に、水道料
金とは別のお金を払うのは当然かもしれません。

食料自給率(カロリーベース)が41%で、穀物自給率(家畜用飼料を
含む)が28%(2008年度)というのは、テレビなどでもよく目にする数
字ですが、この穀物自給率28%の意味を、全体的につかみたいと思
いました。そのために、ことがらの本質を損なわない程度に少し単純化
して考えてみます。

日本の1年間の穀物消費量は4000万トンです。

「穀物」とは、米や小麦やトウモロコシや大豆などです。
「日本」には、日本に住む人間と家畜(鶏、豚、肉牛、乳牛)の両方が
含まれます。

半分の2000万トンを人間が食べます。残りの半分の2000万トンを
家畜が食べます。

人間は、米を1000万トンと、小麦やトウモロコシなどを1000万トン
食べます。家畜は、小麦やトウモロコシなどを2000万トン食べます。

そのうち、国内自給されているのは、米(1000万トン)だけです。

小麦やトウモロコシなどは、全部輸入されています。(3000万トン)
(実際は、小麦が13%、大豆だと5%が自給されていますが、わかり
やすくするためにゼロとします。)

以上を表というか絵にまとめると次のようになります。

--------------------------------------------------------------------------------------------
l     人間が食べる        l       家畜が食べる       l
--------------------------------------------------------------------------------------------
l                      l  鶏が食べる l 豚と牛が食べる l
--------------------------------------------------------------------------------------------
l    米      l      小麦やトウモロコシや大豆など          l
--------------------------------------------------------------------------------------------
l 1000万トン  l  1000万トン l  1000万トン  l 1000万トン  l
l  (25%)       (25%)       (25%)       (25%)   l
--------------------------------------------------------------------------------------------
l  国内自給   l             輸入                  l
--------------------------------------------------------------------------------------------

穀物自給率28%とは、要は、僕たちが食べているお米が穀物消費
全体のどれくらいの割合かということです。

で、以下はシミュレーションです。

意地悪な国々があり、あるいはなんらかの理由で意地悪になって、日
本には小麦やトウモロコシや大豆を輸出しないと決めたとします。

貯蔵分や備蓄分がなくなると(お米ではないので、普通は備蓄などしま
せん、あるのは、経営視点からの必要飼料在庫量だけでしょう)、鶏や
豚や牛がおなかをすかし、餓死してしまいます。そうなると、鶏肉・豚肉・
牛肉も卵もハムもソーセージも牛乳も、別途輸入している肉類を除いて
は、手に入らなくなります。北海道や本州の高原では放牧されている牛が
わずかにいますから、その牛たちだけはなんとか生きていけます。

米を除いては、穀物では食べるものがなくなります。ごはんを炊いて、
魚と野菜がおかずです。肉は食卓にはでてきません。大豆も入って来な
くなるので、味噌や醤油も消えてしまいます。味噌汁もできません。醤油
味の煮付けもできません。塩でもふりかけて食べますか。

穀物自給率28%とは、そういう意味、そういう光景です。

ちなみに、よく引き合いに出される数字ですが、フランスの穀物自給率
は173%、ドイツが101%、英国が99%、米国が132%、イタリアが
73%、ヨーロッパで日本並みに低いのはオランダとポルトガルで25~
26%(2003年度統計)。自給率の多寡には地形や土壌も関連します
が、穀物の戦略性に対する各国の姿勢の違いが現われているようです。

で、「日本人とユダヤ人」に戻りますが、さすがに今は、「日本人は、安
全と水は無料で手に入ると思いこんでいる」という思い込みの程度は下
がってきましたが、2009年度版は「日本人は、安全と食料はお金を出
せば買えると思っている」と修正した方がいいのかもしれません。

(Nov 2009)


太陽がいっぱい

北国の人たちは、太陽というか陽の光が好きですが、北国の人に
限らず陽の光は僕たちを幸せにします。降り続く雨よりは陽光の日
々がやはり好ましい、というようなことは、以前はあまり深くは考えな
かったのですが、札幌に住んでみて冬がその辺りにやってくると、
陽の光の幸せを実感します。

札幌の天候は、季節を通して、とても忙しいというかあわただしい。
一番正しい天気予報が「晴れと曇りと雨、ないし雪が一緒に楽しめま
すよ」というような日が結構あります。西は雨で、東は晴れ。北は雪雲
で、南は青い空。

僕の勝手な印象ですが、これは札幌が広々とした平地で、しかし低い
山があり、近所の日本海の大気と、少し離れた太平洋の大気が両方
入ってくるせいかもしれません。高層ビルの高層階から北西の方向、
つまり日本海の方向を見ていると、冬には黒い雪雲が急速に押しか
けてくるのが観察できますが、しばらくすると、退屈したようにどこかに
消えてしまう場合もあります。

僕は、陽の光も曇りも雨(ただし、雨は休日に限る)も、比較的同じよう
に楽しめますが、配偶者は、僕よりも自然に近いのか、太陽がいっぱ
いの日の元気さを100とすると、曇りの日は75、雨や雪の日は50以
下に低下するようです。

10月初旬に二十日大根を30日間かかって収穫し、その直後に土を
加えて混ぜて、また二十日大根の種を播いたのですが、気温が低く、
陽の光が少ないせいか、もう45日になるのにまだ首根がぷっくりとし
てきません。太陽がいっぱいの状態にならないかなあと念じていますが、
無理な相談かもしれません。葉は青々としていますが、全体的な元気
度がどうも50くらいです。

(Nov 2009)


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食べ物と、お化粧

適切なお化粧は、魅力的な女性をさらに魅力的にします。お化粧は
その女性の魅力的な部分を際立たせるともいえます。職業柄、自分の
魅力を抑える方向のお化粧をする女性もいます。いづれにせよ、自分
を外部にどう伝えたいかという意思が働いているので、広い意味での
マーケティングです。

スッピンで勝負している食べ物があります。野菜や魚です。修練を積ん
だ賢い消費者は旬の時期などは頭に入っているので、見るだけで、そ
の鮮度や味をある程度は見抜くと思われますが、たとえば、その野菜が
有機栽培されたものかどうかを、見ただけで判断するのは困難です。

そこで、その野菜が有機栽培であるかどうか、生産者が誰であるかが
どんな形であれ表示されていると、つまりそういうシンプルなお化粧が
ほどこされていると、それはあるタイプの消費者にとっては有益なマー
ケティングメッセージになります。

しかし、その同じメッセージが、別のタイプに人にとっては意味のない
騒音、ないしは、値段の高さを告げるだけのディマーケティング(購買
抑制)メッセージにもなるので、誰もが納得するお化粧というのは不可
能かもしれません。

素朴な消費者にとっての七不思議のひとつは、パン屋さんでバラ売り
されているパンや魚屋さんのまるものの魚には表示されていない情報
が、複数個まとめてポリエチレン袋に入ったり、切り身となって発泡スチ
ロールのお皿にラッピングされたときには、簡素に、あるいはにぎやか
に登場してくることです。あとだしジャンケンの世界ですが、ここでは、
まあ仕方がないかと言うにとどめます。

商品の入ったガラス容器や商品パッケージやラッピングには、消費者
に訴えかける力を持ったその商品の物語が必要だ、とはマーケティング
の世界ではよく言われることですが、その物語に素直に共感できる場合
と、裏を見ると一般の家庭の台所では決して見かけることのない物質が
原材料の欄に羅列されていて、いわば「お里が知れる」状態になってし
まう場合の両方があります。

お化粧ということでいえば、人柄の良さがお化粧によって引き立ってい
る場合と、相当に無理をした厚化粧で素顔が見えなくなっている場合
の違いです。

すばらしい原材料表示で、しかし、期待したほどおいしくないものもそれ
なりにありますから、見る目を養うには何度かは痛い目に会う必要があ
ります。お化粧した女性と似ているところがあるかもしれません。

(Nov 2009)


簡素で贅沢な朝ごはん

一人で朝ごはんを早朝に済ませる必要のある日には、最近は、玄米の
大き目のおにぎりとケンチン汁を用意しておいてもらいます。おにぎりの
中は梅干です。玄米は朝ごはん用に炊くのではなく、前の晩に炊く玄米
ごはんの量を増やし、余った分をにぎったもの。ケンチン汁は、もともと
が配偶者の好物で、僕もだんだんと好きになってきて、これは実によく
できた伝統食だと思います。朝、容器に入ったそれを冷蔵庫から出して
暖めます。

丁寧に育てられたお米のおいしさを、玄米を通して、改めて実感するのは
こういう瞬間です。

以前の朝ごはんは、手羽先で作ったスープストックがベースの野菜スー
プと、天然酵母の自家製パンでしたが、今は、和風の勢力が強くなりま
した。

紅玉のアップルパイが作ってある場合には、オーブンで暖めて、コーヒー
と一緒にパクリ。

あとで怒られないように、食器やお玉などをささっと洗い、ささっと片付け、
朝ごはんが終了します。

(Nov 2009)


雪化粧

札幌にはもう雪が降ったのか、という話題ではありません。カボチャ
の話です。

旭川から北へ伸びる一帯が名寄(なよろ)盆地ですが、そこはカボ
チャの産地です。和寒(わっさむ)や名寄(なよろ)といった雰囲気の
ある名前をもった町が、産地としては有名ですが、先月初めに、
「笑ってしまうくらいおいしいトマトジュース」を買ったときにおまけに
いただいたそのトマト農場産のカボチャも名寄盆地の士別という場
所の生まれです。

おまけのカボチャは2個もいただいたのですが、とてもおいしいかっ
たし、皮の、濃い緑の色がみごとに鮮やかなので、残りの1個は保
存中です。

現在、我が家の暗冷所で保存中のカボチャは、その鮮やかな深緑
の小ぶりなおまけカボチャと、先日知り合いから「これ、親戚で作っ
た奴」といただいた普通の濃い緑色の大きめの物と、蘭越(らんこし)
という「ニセコ」の近所から来たオレンジ色のとても小さいのが2個。
いっしょに並べてあるのですが、雰囲気はほとんど工芸品です。カ
ボチャは少し寝かせておいた方がおいしくなるし、丸ごとなら長期保
存もできるので、これらはあとしばらくは工芸品としての役割を継続
します。

薄緑色に灰色を多めに混ぜた色を想像してください。そんな色のカ
ボチャがあり、僕たちは、北海道で初めて食べたのですが、名前を
「雪化粧」といいます。誰がつけた名前なのか、実物を眼にすると、
納得します。

いろいろなカボチャの調理方法があると思いますが、僕たちが現在
一番気に入っているのは、蒸しカボチャ。これを醤油ベースの胡麻
ダレで食べるのが、現在の我が家のお楽しみのひとつです。

「雪化粧」は寒くならないと登場しないカボチャですが、とても堅く、
水分が少なく、蒸すとほこほこで、固ゆで卵の黄身をたべているよう
な錯覚におちいります。

(Nov 2009)


日本のお米は高いのか安いのか?

わずかでも示唆が得られたり刺激が得られる本は、払ったお金は
無駄にはなりません。「眼からウロコ」的な洞察に出会ったような場合
には、その本は、僕にとっては名著なので、窮屈な本棚に、他を押し
のけても収めます。

そういう本に2-3日前に、出会いました。農業や農村や農作物やその
社会学に関する書物です。中に「高い米と安いご飯」という一節があり、
骨子は、日本の米の生産者価格(米価)は世界で一番高いが、ご飯
(白米を炊いたもの)は日本でいちばん安い食べ物だということです。

僕も、安いご飯の追体験を実際にしてみようと思い、自分でいろいろ
なお米のいろいろな価格をインターネットで調べ、また近所のスーパー
や生協に足を運んで店頭で小売価格を確かめ、ついでに、街のお弁
当屋さんの販売カウンターをのぞいて、炊きたてご飯や惣菜の値段を
拝見しました。高くて国際競争力がないといわれる日本のお米が、生
産者からJAやその他の階層的・水平的な流通網を通して日本の消費
者に向き合ったときにどんなびっくりするような値段になっているので
しょうか。

結構な値段のバラツキがありますが、精製した普通の白米のうち、味
がよいと一般に考えられている種類のもので、5キログラムが税込みで
2,500円です。店頭ではそれよりも安いものもいっぱいあり、平均価
格は2,500円より安いのですが、価格比較が目的なので、安全サイド
で考えます。(ただし、ここでは、産地直送・農家直販の有機栽培米は
対象からはずしています。)

1キログラムが500円です。僕たちはご飯を炊くときには「合」(ごう)を
使いますが、合とグラムの関係は1合が約150グラムです。一家で晩
御飯に電気炊飯器で3合の白米を炊くとは、450グラムの白米を炊く
ことです。

450グラムなので、500円×450グラム÷1000グラム=225円です。
3合で、お茶碗6杯分だとしますと、まあ、それが普通ですが、お茶碗
一杯分の値段は37円50銭です。ここには光熱費や主婦の労賃が含
まれていないので、その分ということで、値段を1割り増しにすると、
41円25銭です。四捨五入で41円です。

「三杯目はそっと出し」でも、123円です。味付けパン1個の値段が
100円で食パン1斤が150円~160円くらい。分量を勘案すると米の
ご飯とパンの相対価格比較という点では、「40」対「100」というあたり
でしょうか。ちなみにペットボトルのお茶が110円から120円。

パンは加工食品なので、加工食品としての炊きたてご飯、つまり、人気
のある街のお弁当屋さんチェーンで売っている商品としての炊きたて
ご飯の値段はいくらくらいかというと、丼サイズで190円から200円、
お茶碗サイズだと100円前後です。

暖かいか冷たいか、できたてか否かという差、ないしは満腹貢献度へ
の感覚的な差などを無視すれば、加工食品商品としての炊き立てご飯
と市販のパンの価格は、同じくらいと考えられます。

ちなみに、プライベートブランドのお茶が140円、サラダが140円、
ないしサラダや惣菜が100グラムで180円くらいなので、ご飯とおかず
とお茶と並べると、小食の人は、100円:180円:140円(合計420円)、
よく食べる人は、200円:360円:140円(合計700円)となります。

お昼の定食屋さんなどでは、ご飯の大盛りも普通盛りと同じ値段という
ところもありますが、安い古米を使えば、そういうことも十分可能です。

市販のパンとジュースで朝ごはんを済ませる人は、準備と後片付けが
ちょっと手間ですが、炊飯器からの炊き立てのご飯と佃煮とインスタント
味噌汁が安い代替品になります。そんなことはわかっていても時間の
ない人には余計なお世話なので、ここでは、自分で炊飯器などで炊くなら、
日本のお米はとても安い食品だ、他人に炊いてもらったホカホカのもの
でもパンとは同程度の値段だと述べるにとどめます。

(Oct 2009)


農作物と、発想の基盤

少し前にこの雑感コーナーで、モノ作りと発想の基盤の関連について感想を
書きましたが、対象範囲がコンピュータ向けのソフトウェアやゲーム、電気
製品・電子部品や自動車や衣類などの第2次産業の製品に限られていたの
で、今回は、野菜や米や果実などの農作物栽培とモノ作りの発想の基盤との
関連についての雑感です。

日本の食料自給率は、先進国と呼ばれる国の中ではとても低くて、40%程
度です。お隣の中国は食料自給率95%をめざしているようです。どうしてこ
ういうことになったのか。

前回、モノ作りの発想基盤を3種類に分けてみました。

(1) 言語発想のモノ作り
(2) 感性発想のモノ作り
(3) 物発想のモノ作り

言語発想の例としてIT基盤や業務関連のコンピュータソフトウェア製品、感性
発想の例として広い意味でのゲームソフト、物発想の製品・商品の例として自
動車や家庭電気製品や衣類などを挙げ、また、日本人が、世界の他の国や
他の文化と比べて、相対的に得意な発想領域は「言語」「感性」「物」の中では、
「感性」と「物」だと述べました。

農産物はどの発想のモノ作りに近いでしょうか。僕には、感性発想のモノ作り
と物発想のモノ作りが重なったあたりが農産物を作る場合の発想の基盤のよ
うに感じられます。だから、電気製品や電子部品や老若男女向けのゲームソ
フトのように日本の農産物も世界市場を席巻してもいいはずです。

ただし、僕たちの好むタイプの米のような外国では需要の非常に少ない種類
の農作物や、農作物はその土地伝統のもの・その土地の旬のものがそこで
住む人の体にはよい(以前は、仏典に対する註釈書の用語を援用して身土不
二<しんどふじ>、最近では、身土不二よりもわかりやすい表現で地産地消、
どちらもビジネスのニュアンスがにじんでいますが、そこはあまり気にしないこ
とにして)ということも考慮すべき要素なので、家電製品の輸出や現地法人で
の生産ほど単純なものではないのかもしれません。

しかし、家電製品の現地生産といっても、日本向けとは異なった仕様にローカ
ライズすることも多いので、その場合は家電製品の地産地消ということになり
ます。農作物の場合も、南米原産のトマトが18世紀に日本に伝播してきたり、
ニンジンがヒマラヤ山麓から日本に旅してきたり、白菜が明治になって中国か
ら渡来してきたり、日本からはお米がカリフォルニアに根付いたりして、時間を
かけてそれぞれ「身土不二」になったともいえます。

世界を席巻しているDeveloped in JapanないしMade in Japan製品は、価格と
機能という経済性の壁をクリアしているのは当然ですが、品質(ここではあえ
て日本的品質という表現を使いたいのですが・・・)という、経済合理性を包み
込む何かほっとするものを、高い確率でもっています。

ところで、農作物は日本では一般的には儲からない商品、それだけでは生計
が苦しい商品ということになっており、日本の現行モデルではその存続が厳し
いと考えられています。ですから、たとえば、遺伝子組み換え種子と農薬を
セット販売するような米国企業等のビジネスモデルに支えられた外国の工業
的大規模農業の今後と比べて、とてもネガティブな見方をされるようです。

しかし、有機栽培などで作られた元気で新鮮で力強いMade in Hokkaido,
Made in Japanの野菜などが消費者や料理人を引きつけ、僕たちを含めた
そうした人たちを魅了しているのを眼にすると、そのような農作物は一定の
「価格と機能という経済性の壁をクリアして」おり、同時にそうした「経済合理
性を包み込む何かほっとする」ような品質と付加価値をそなえています。僕
には、こうした野菜と、世界市場で大きなシェアを占める日本製の高品質電
子機器との間に、モノ作りの発想基盤という視点からは、違いよりもむしろ
大きな類似点が見えてきます。

(Oct 2009)


紅玉は冬の始まり

紅玉は冬の始まり。紅玉はアップルパイ。配偶者が紅玉をつかったアップル
パイを作り始めると、寒い冬がそのあたりにじわじわと近づいているのだな、
という感想をいだくことになります。

配偶者が紅玉(こうぎょく)という酸っぱい昔風リンゴを10個ほど買ってきて
アップルパイを作り始めました。長方形のパイが何個か出来上がりましたが
大半は知り合いや親しいご近所への季節の挨拶用なので、初回は僕には
控えめな分量しか回ってきません。

2回目のパイは、玄関の外には出さないようにしてもらいます。

(Oct 2009)


「薄い」野菜

他への出費を切り詰めて、その分を元気でおいしい野菜にまわしてきた
ので、元気でおいしい野菜はそれなりにわかります。農薬や化学肥料を
使わない、陽の光をいっぱいに浴びて育った野菜は、そうでないものより
も、絶対にそうだとはいえませんが、より鮮やかな色と香りと強い味わい
をもっています。有機栽培とかでない野菜でそういうしっかりしたのも当然
ありますが、そういうものに安い値段で出会ったときには、ちょっとうれしく
なります。

今は旬を過ぎてしまいましたが、もうすこし夏寄りだと、セロリほどみごとに
その差を感じさせてくれる野菜はみあたりません。セロリの緑色という色
そのものの発する力強さにそもそもの違いが見てとれます。有機ではない
のですが、色と香りと噛みごたえと味のバランスがとてもいいセロリにも、
どういう幸運か、近頃は異なった売り場でときどき出会います。色の表情
からして、同じ農場から来たもののようです。

配偶者と外出のついでに、作りたて地ビールが人気のビア・レストランに
立ち寄りました。3種類の地ビールを楽しむつもりです。つまみの類は必
要ないのですが、それではお店にもうしわけないので、生野菜の盛り合わ
せを一緒に、注文しました。

ビールはそれぞれに違った味わいで結構だったのですが、出てきた生野
菜を見て、やっぱりというか、まあこんなものかというか。恐れていた通り
のおだやすぎる色をした野菜が盛り合わせてありました。

ひとことでいうと、水っぽい感じです。野菜の表情も色も香りも、そして当然、
味も、水っぽい感じ、薄い感じ、弱い感じです。どういう環境で育ったので
しょうか。野菜に同情してしまいます。

食糧自給の問題で、野菜工場の可能性が議論されています。ブナシメジ
やエノキといったきのこ類は、すでに工場生産といっていい環境で栽培さ
れています。工場環境でも、土や太陽で育った野菜の持つ強さをもった
葉物野菜ができるといいなと思っていますが、人工の土や太陽は、自然
の土や太陽が好きな野菜という生き物にとっては、すっきりとしない環境
かもしれません。

(Oct 2009)


秋のパンジー

秋が少しずつ深くなり、札幌から花の色がなくなってきました。わが家では、
ピンクと白の日日草が、小さくなった花と葉でまだ咲いていますが、もうそ
ろそろおしまいです。

花の色と日照は人を幸せな気分にしますが、北の国の秋ではその思いが
強くなります。日照が、「日照パック」のような缶詰になって商品化されてい
て、缶をあけると数時間は家の結構な回りで日照が楽しめるなどということ
があれば、僕は、たとえば瀬戸内海とオリーブの香りのする小豆島の日照
パックなどを買い求めて、天気の悪い日に備えてストックしておくことでしょう。
しかし、どうもそういうわけにはいかないので、花に登場してもらうしかあり
ません。

秋の花がそばに欲しいと思い、昨日、配偶者が関東地方から取り寄せた
パンジーの苗を3鉢分植えました。オレンジと濃い黄色とレモンイエローと
白です。

パンジーは、最低気温が2度以上くらいのひんやりした空気と日照を好む
ようです。だから、札幌では春の公園はパンジーでいっぱいですし、東京
では少し季節がずれて冬のビル街の花壇でよくパンジーを見かけます。

昨年は、冬のパンジーを楽しもうと、簡易ビニール温室でパンジーを冬越
しさせましたが、氷点下3~4度くらいになると簡易温室の中も零度以下に
なり、そうなるとパンジーが凍ってしまうので、そういう時はパンジーの鉢を
夜中に室内に運びいれ、次の日の朝に、日照とともにまた外に出すという
サギョウが必要で、そのサギョウは寒いなかでは大変なので、今年はあき
らめることにしました。

秋のパンジーは、これから1ヶ月、うまくすれば1ヵ月半、僕たちの眼と気分
を和ませてくれます。

(Oct 2009)


二十日大根

理由ははっきりしませんが、9月に入ったばかりの頃に種を蒔いた
二十日大根がおいしく食べられるまで成長するのに三十日ほどか
かりました。二十日大根ではなく、ひと月大根でした。配偶者の「ゆ
っくり」に目に見えぬ影響を受けたのかもしれません。

間引きをして残したのが48本。43本はすでに僕たちと近所の知り
合いのの胃袋に入ってしまいましたが、ゆったりとした性格の5本は
あと2日くらいは土の中でボーとさせるつもりです。

先住者がいなくなった鉢植えの土をならして再び種を蒔いたら、日照
にも恵まれて、双葉(ふたば)がいっぱい出てきました。また楽しめま
す。

二十日大根は味噌を少しつけてまる齧りです。小さな白いかたまりの
甘みとわずかな辛味を、味噌と一緒に堪能します。葉っぱの、大根
本体に近い茎の部分は本体と一緒にパクリですが、その他の部分は、
それなりに細く刻んでジャコなどと一緒にスダチをかけて味わいます。
残すところも捨てるところも全くありません。

(Oct 2009)


笑ってしまうおいしさ

この週末に、こじんまりとした規模で開かれた食べ物のフェアに立ち
寄りました。多分業界の専門家向けの催し物だと思うのですが、開催
場所が、一般消費者の往来が多い建物なので、それらしい業界の人
に交じり、家族連れも目につきます。僕は配偶者と一緒です。

興味のある食材や加工食品に出会うのが目的です。手頃なものが展
示即売されていたら買うつもりです。

展示ブースをうろうろしていると、「こだわりすぎの・・・北海道トマトジュ
ース」「士別」「無塩」という文字が目に飛び込んできました。トマトの赤
がラベルになった瓶詰めトマトジュースが20~30本並んでいます。ビ
ンの大きさは1リットルくらいです。

睡眠時間の短いウイスキーだと顔を赤くしてその場からこそこそと逃げ
出していきそうなくらいの値段がついています。ペラ物の案内には「なん
でこんなに高いの?」「どうして普通のトマトジュースとこんなに味が違う
の?」といった疑問文とその答えが書いてあります。土づくりから相当な
こだわりをもった農場でつくられたトマトのようです。

おばあさんが2人試飲していたので、僕たちも小さな紙コップで試飲さ
せてもらいました。濃厚でまろやかで、そして素直な味です。今までおい
しいと思って飲んでいたある会社のトマトジュースがこの前ではかすん
でしまいました。試飲したのは室温だったので少し冷せばもっとすごい
味になるはずです。

1本だけ買い求めました。そのブース責任者の中年女性から、小ぶりな
かぼちゃを2個おまけにいただきました。「トマトの得意な男の子がこの
トマトをつくっているの。来年はもっとバージョンアップしますよ。」

少し冷した方が凄味を増すに違いないと冷蔵庫で休憩させます。ガラス
瓶を上下に傾けて中身を均一にします。ガラスコップに楽しみたい量を
注ぎいれます。

笑ってしまうようなおいしさです。

このトマトジュースの分だけ値段を高く設定した、ゆったりめの都市ホ
テルの特別朝ごはんメニューなどにはいいかもしれません。和食でも
洋食でもどちらでも大丈夫です。

元気な野菜や元気な果物が好きで懐に余裕のある方、あるいは、他の
ものを精一杯節約してたまにはびっくりするくらいおいしい野菜や果物
にその節約分をふりむけるという贅沢をしたい方には適していると思い
ます。

(Oct 2009)


発想の基盤

日本生まれの、あるいは日本企業によって作られた自動車や家庭電気製品
や電子部品などは世界市場を席巻しているのに、コンピュータ関連のソフト
ウェア商品はどうして国の壁を超えられないのだろうという議論をする機会が
ありました。

Developed in Japan ないし Made in Japan のソフトウェア商品は日本国内で
はそれなりの需要規模があるのですが、海の向こう側にはほとんど市場が
ありません。逆に、たとえば米国生まれのソフトウェア商品は、日本のユーザ
に深く浸透しています。

ソフトウェア商品を広く定義すると、僕たちが会社の仕事や個人利用のパソ
コンなどで慣れ親しんでいる(有料無料の)基盤ソフトウェアや業務アプリケー
ション、そしてソフトウェアのツールなどがありますが、それ以外の大きな存在
としてはゲーム関連のソフトウェア商品があります。

国内市場と海外市場の両方をしっかりと確立しているのはゲームソフトです。
もっとも海外市場比率が十分に高いのは、限られた数のゲームソフト関連企
業で、その他のゲームソフトベンダーの海外市場シェアはイメージほど大きく
ありません。

さて、以上のこととの関連で、商品発想の基盤にはどのような種類があるのか
少し考えてみたいのですが、商品発想という堅い言葉ではなく、モノ作りという
よく慣れ親しんだ言葉をここでは使います。ハードウェアでもソフトウェアのよう
な形のないものでも商品はすべてモノという言葉で表現します。したがって、ハ
ードウェアとしてのモノを表すには、紛らわしいですが、「物」という言葉を使い
ます。

モノ作りの発想基盤を3種類に分けてみます。

(1) 言語発想のモノ作り
(2) 感性発想のモノ作り
(3) 物発想のモノ作り

言語とは、僕たちが日常使う言語と、それが抽象化されたメタ言語の両方を
含みます。言語の深みから発想してモノを作るのが言語発想のモノ作りです。
ゲームを除く、いわゆる一般のソフトウェア商品が該当します。

感性とは、一部の人たちだけに共有される特殊感性と一般感性の両方を含
みます。ここで、一部の人たちの特殊感性とは、ある限定された年齢層やオ
タクと呼ばれる趣味人サークルなどで共有される感性をさし、一般感性とは国
や文化や年齢の違いにかかわらず当てはまる感性をさします。そういう感性
のささやきから発想してモノを作るのが感性発想のモノ作りです。ゲームソフト
が相当します。ゲームソフトにも特殊感性向けのものと一般感性向けのものが
あります。わかりやすくするために特定商品名を援用すると、任天堂のWiiソフ
トは一般感性向けの代表的な例です。

物とは前述したように、いわゆる形をもったもの、ハードウェアのことです。衣
類などもここに入ります。物発想のモノ作りとは、物にひそむ力・物が持つ力
から発想が湧き起こります。

日本人が、世界の他の国や他の文化と比べて、相対的に得意な発想領域は
「言語」「感性」「物」の3つの中では、やはり「感性」と「物」だと思われます。

ここで、「感性」と「物」という発想領域を根に持つDeveloped in Japan商品は
世界市場で強く、「言語」が発想の泉になっているDeveloped in Japan商品は
国内市場で顧客を獲得できても日本以外では浸透がむつかしいという仮説
をたててみます。一般ソフトウェア商品は言語発想のモノ作りだという前提が
正しければ、日本では世界を席巻するようなコンピュータ・ソフトウェア商品
は育ちにくいことになります。

今後はどういう方面で僕たちはモノ作りの才能を発揮すればよいのでしょう
か。

物発想は日本の自家薬籠中の物なのでそのまま継続するとして、感性発想
のソフトウェア商品という方向があります。現在はゲームソフトがその中心で
すが、特殊感性をその一部とする一般感性という世界の延長線上には大き
な海外市場が広がっているようにも思えます。物発想と感性発想ソフトウェア
が組み合わさった複合商品という重心の傾きが自由な分野もあります。かり
に、「健康」というキーワードをここに振りかけたらどんな商品発想のさざ波が
立つでしょうか。

どうしても一般ソフトウェア商品をグローバル市場で成功させたいと思う人は、
言語発想がDNAになっているような日本人以外の人たちを大量に組み入れ
た日本企業をそういう人たちを採用しやすい国外のどこかの産業集積地に
作るか、あるいは人集めは面倒だけれども日本国内にそういう会社を作るか、
どっちかだと思います。

(Oct 2009)


赤トンボ

9月下旬のよく晴れた日の朝は、トンボが驚くくらいいっぱい飛んでいます。
なつかしい光景です。この2-3日は目にするほとんどがペアのトンボでした。
前後に仲良くくっついたペアなので動きがギクシャクしていますが、乾いた空
気の中を、それなりの速度で泳いでいきます。赤くはないですが、大きさや姿
かたちからして赤トンボの種類です。

赤トンボをみていたら、この夏の蝶の状態を思い出しました。山椒の木など
を鉢に植えてあるとアゲハチョウの生育基地になるのですが、今年は山椒
などなかったので、アゲハはもとより、モンシロチョウやモンキチョウもほとん
ど見かけませんでした。

環境が蝶々に不都合に変化しているのでしょうか。

しかし、赤トンボは、稲作にともなう光景、田んぼの生き物なので大量に飛ん
でいるとほっとします。

(Sep 2009)


ケイジとスダチ

ケイジ(鮭児)と呼ばれる鮭がいます。

いつもの魚屋さんにケイジ(鮭児)の頭と切り身が並んでいました。
"RAUSU SALMON KEIJI" と表記された茶色と紺色のタグが一番奥に
置かれた頭部の頬のあたりに貼ってあります。ブランド価値を保証する
ために羅臼漁協がつけた認定バッジです。

ケイジはその魚屋さんに限らず新宿のデパートの地下食品売り場でも
何度かみかけましたが、「これが鮭の値段か」というほどべらぼうなので、
今までは手を出しませんでした。しかし、これを一度も食べずに北海道
の食べ物を語るのはまずいのではないかと反省し、隣の配偶者も食べ
てみたいという気持ちが明瞭な表情だったので、切り身を購入しました。
たしかに結構なお値段です。お店の人に最もおいしい食べ方を確認した
ところ、塩焼きがよいとのことです。

食べる側にとってのケイジは、脂がよく乗っていてとてもおいしい鮭なの
ですが、なにしろ水揚げ本数が少ない。漁獲される鮭1万本に対して
1~2匹の割合しかいないそうです。ということで、非常に高い値段が
つきます。今年の水揚げ本数は知りませんが、モノの本によると、
2000年度は羅臼漁協1年間の合計が480尾だったそうです。今年は
鮭漁が不振だといわれていますので、2000年より相当少ないのかも
しれません。

日本で獲れる一般の鮭とは違って、ケイジ君はアムール川出身だそう
です。アムール川はロシアから間宮海峡に注ぎ、そのすぐ向こうが樺太
(サハリン)ですから、「荘子の鳥」から見えたかもしれない光景を思い
出します。(「ふだんと違う視点」

さて、塩焼きです。半分は塩焼きのまま、残りの半分にはスダチをかけ
て楽しむつもりです。よく脂が乗っていますが、しつこさのない上品な脂
です。なるほどと納得です。スダチをかけます。鮭とスダチは初めての
試みですが、予想以上の絶妙な組み合わせです。

明日はおおいに節約。

(Sep 2009)


多品種ひとり分消費

多様な需要やその需要の変動に効率的に対応するために多品種少量
生産方式が始まりましたが、それを徹底すると「1個流し」になります。
顧客需要に応じて製品が1個ずつ完成するので無駄な在庫は理屈上は
なくなります。

とくに消費者女性(独身かそうでないかは関係なさそうです)に強いニー
ズのようですが、すこしずつたくさんの種類を食べたいので、パッケージ
分量は極小とまではいかないにしても、決して食べ残すことのない量と
いう要望です。多品種少量(ひとり分)消費なので、「多品種」に重みが
かかるとたくさんの種類を買いすぎて全部は食べきれないという困った
事態が時には起こりそうですが、特定の種類の対象食品(野菜や惣菜
やお菓子や果物など)が余ることはなさそうです。

自動車やハイテク機器だと1台は1台でそれ以上の細分化はできません
が、お菓子や野菜や惣菜や果物のように少ない量や少ない数でパッケ
ージ化できるものはより柔軟な対応が可能です。サラダの量り売りは見
慣れた光景ですが、お米をキログラム単位で量り売りをしているお店も
見かけます。真ん中で2分の1にカットした大根やキャベツも商品棚の日
常アイテムです。

通常は、小さなパッケージ対応に人手がかかると追加コストが発生しま
す。だから、ひとり分パッケージは割り算結果よりは少しだけ高めの価格
設定になるかもしれません。

大家族やそれが大好きな家庭だと、たとえば大きな鮭を丸ごと買っても
不都合はないかもしれませんが、そうでないところでは持て余してしまい
ます。で、切り身のお世話になるのですが、「多品種ひとり分消費」トレン
ドはどこまで進行するのでしょうか。作る人・流通させる人・お店で販売す
る人と買って食べる人との微妙なかけひき、微妙な綱引きです。

(Sep 2009)


近所に欲しい

他のものと一緒に取り寄せたクロワッサン。そのポリエチレン包装袋の
印刷から引用します。

『「より自然で安全なものを食卓に」国産小麦粉と天然酵母で焼き上げま
した。バターの風味が生きています。』
『オーブントースターで軽く温めていただきますと焼きたてのおいしさにな
ります。』
『材料: 小麦粉(国産)、バター(国産)、砂糖(国産)、酵母(米を含む)、
食塩』

とても、おいしいクロワッサンです。値段も高くありません。なぜ、この手
の良心的でおいしいものが近所で簡単に手に入らないのか。怒。

材料の欄に漢字やカタカナで、理解のむつかしい用語があふれるように
並んでいるパンやクロワッサンのパッケージがありますが、しかたがない
のかなとは思いつつ、でも、やっぱり、うんざりします。

こういう消費者(ここでは僕のことですが)を、僕は「わがままな消費者」と
も「失礼な消費者」とも思いませんが、「欲張りな消費者」かもしれません。

(Sep 2009)


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ソウルフィッシュ

ソウルフィッシュ (soul fish) についてです。僕の勝手な造語です。シタビラメ
あるいはヒラメとカレイを総称して英語ではsole(ソウル)といいますが、それ
ではありません。ステーキで食べるとおいしいソードフィッシュ(メカジキ)のこ
とでもありません。

ソウルフードいう言葉があります。言葉の生い立ちが簡潔に説明されている
ので、その部分を以下に引用します。

「ソウルフード(英語:soul food)とは、アメリカ合衆国南部で奴隷制を通して
生まれた、アフリカ系アメリカ人の伝統料理の総称である。『ソウルフード』と
いう名称が定着したのは、アフリカ系アメリカ人に関する事柄を指すのに
『ソウル』(「魂」)という言葉がよく用いられるようになった1960年代半ば頃で
ある。」(ウィキペディア)

そういう背景を意識してのことなのか、新しく生まれた郷土料理に思いをこめ
て、ソウルフードという場合もあるようです。だから「北海道のソウルフード」と
いう表現や、「スープカレーを北海道のソウルフードにしよう」というメッセージ
が書籍リストやWEBで散見されます。

僕たちは、ある魚をおいしいと思い他の魚をまずいと判断します。好きな魚と
嫌いな魚があります。さらには食わず嫌いの魚など今までまったくお付き合い
のない魚もいます。僕たちの魚に対する味覚のもとになった魚介類をソウル
フィッシュと、ここでは呼ぶことにします。味に対する好みや守備範囲は、年齢
や経験とともに広がり、深まり、また変化しますが、コアの部分はそのままか
もしれません。

近所の北海道生まれの働く熟年女性と僕の配偶者の会話です。働く熟年女
性は料理も好きなようです。

「ホッケやニシンはおいしいと思いますが、鯛はどこがおいしいのか、正直な
ところよくわかりません。料理の仕方もわからないし。」それを聞いた配偶者
は、しばし口ごもったそうです。「・・・・・・・・・・。では、ヒラメはどうですか?」
「鯛と似たようなものですね。」「他にどんな魚介類がお好きですか?」これは
配偶者の質問です。「貝類はよく食べます。イカも好きですね。」働く熟年女性
の答えです。「我が家でもイカはよく食べますが、ほとんどお刺身です。ヤリイ
カのお刺身はおいしいですね。主人はゲソをあぶってビールのつまみにして
いますが・・・・。やっぱりお刺身ですか?」配偶者からの質問が続きます。
「お刺身では食べません。イカは煮て食べます。」

「『イカはお好きですか』『好きです』」だけでは会話は成立しないようです。
料理の仕方も含め、ソウルフィッシュはさまざまです。

(Sep 2009)


重箱の出番

籤(くじ)運のよくない配偶者が、ネット裏の結構いい座席を申し込んで
あったら何の僥倖かカード会社の抽選で選ばれたので、札幌ドームに
一緒に行ってきました。

その日は試合半ば過ぎまでは投手戦の様相で、ネット裏席のいいとこ
ろは、ホームランやヒットの連続の興奮が手に入らないなら、興味の対
象を投手に切り替えられることです。テレビの野球中継ならとてもいい
位置から投球術を楽しめますが、球場で投手の投げるボールを横や横
に近い斜めから見る席だとボールの直線的な速さしか楽しめないので、
乱打戦で盛り上げてくれるのが一番です。

ネット裏のいい位置からだと、いい投手の場合には、スライダーの鋭い
切れやスピードガンの計測速度とは違うボールの俊敏な勢いのようなも
のが、じかに伝わってきます。こういうことにはぼんやりの配偶者にも、
2チームの投手の投げるボールの違いがわかったようです。

さて、我が家では、「野球はお重」です。野球場に出かけるのは年に2回、
多くて3回なので、我が家ではイベントです。こうしたイベントにはビール
も必要ですが、食べ物も重要です。ハーブオイルをしみこませた自家製
おしぼりも2つ用意します。

我が家の定番は2段の重箱に盛り付けた「太巻き」と「塩茹で野菜」、夏
なら枝豆が加わります。ビール売りの女の子から買い求めた紙コップビ
ールをまずいっぱい飲み干して、すこしいい気分になったところで、普通
は重箱を膝に置き、塩茹で野菜から箸をつけます。運良く別の女の子が
別のブランドで通りかかると、お代わりを注文し、2杯目を今度はゆっくり
めに楽しみながら、太巻きを片付けていきます。

重箱をお正月料理限定品としておくのはもったいないし、最近はほかに
重箱の登場する機会も少ないので、夜の野球見物には、もっぱら、重箱
に盛り付けた巻き寿司です。

(Sep 2009)


ふだんと違う視点

20年以上前なのか、もっと前なのか、中華思想に言及した歴史関係の
書物だったか文学関係の本だったかに書いてあったことで、あたりまえ
といえばあたりまえのことですが、活字に疲れたときの秋の夜長の退屈
しのぎには役に立つかもしれません。

中国(漢民族)が、世界の中心で、その周(まわ)りに文化的に遅れた民
族がいるという考えが中華思想ですが、その雰囲気の一部を実感するに
は、世界地図を手に取り地図の向きを変えながら、中国のまん中あたり
から世界を眺めてみたらいいのではというお勧めです。

周りの文化的に遅れた人たちは、東西南北の順番だと、東夷(とうい)・
西戎(せいじゅう)・南蛮(なんばん)・北狄(ほくてき)という蔑称をつけら
れており、夷狄(いてき)とも総称されます。日本や朝鮮は東夷に分類
されています。

夷狄(いてき)という語は、中国の古い文献は当然として、日本の古典
にも現れますし、現在でも、敵一般や腹立たしい相手、やっつけてやり
たいと思う相手をさして使う人を僕たちの回りにもそれなりに見かけま
す。幕末でもよく使われた言葉のひとつでした(攘夷など)。

中国のまん中あたりをどこにするか迷うのですが、遣唐使の昔にでも
戻って長安(現在の西安)をまん中と考えてみます。長安のたとえば
空海が滞在したお寺の近辺から、「荘子」に登場する大きな鳥にまた
がって空高く舞い上がり日本の方向を見下ろしてみると、樺太(サハリ
ン)と日本列島と朝鮮半島で囲まれた日本海が、大きな湖のように光っ
ているかもしれません。

北海道にサロマ湖という湖があり、潟湖(かたこ)と呼ばれていますが、
潟湖とは、「砂丘・砂洲・三角州などのため、外海と分離してできた塩
湖。一部が切れて海に連なることが多い」
(広辞苑)湖のことです。そうい
う見方で、大陸上空から日本海を眺めると、日本海はとても大きな潟
湖です。

中華思想への感情は別にして、その発想の源泉の一部を想像するた
めに、こういう風に地図帳を使ってみるのもたまにはいいものです。

(Sep 2009)


地元の好みと他所(よそ)の好み

食べ物などに関するあるフォーラムのパネルディスカッションで、パネ
リストのお一人が「地元で売れないものは、他所(よそ)でも売れない。
地元の人が食べないものは、他所の人も食べない。」という経験と事例
に基づいたお話をされていて、なかなかに説得力がありました。「だか
ら、北海道で売れないものが、ひょっとして東京だと売れるかもしれない
といった夢は見ない方がいいですよ。」

アマノジャクのところを少々持ち合わせている僕は、その発言を拝聴し
ながら、その説得力の範囲に収まりきらないもののことを考えていまし
た。昆布と二輪車(オートバイ)です。

北海道は昆布の独占的な産地ですが、北海道の人は昆布をあまり食
べません。昆布ダシという形で間接的に食べてはいるのでしょうか、昆
布巻きや煮昆布やおでんといった昆布を使った料理や佃煮のような
昆布加工食品には興味がないようです。しかし他所には大きな需要と
消費があります。「とろろ昆布の北陸、佃煮や塩昆布の関西、煮昆布
の沖縄」がその代表例です。

そのせいか、時間をかけた干し昆布製作に、例えば福井の方はもの
すごい情熱をお持ちですが、北海道の生産者は販売している商品を
みてもとても淡白のように思われます。

現在の日本ではオートバイの需要は趣味のもの以外にはほとんどない
と思いますが(ともかく、道路上でオートバイを見かけません)、アジア
では相当の実用需要があり、それが四輪車とのブランド的な相乗効果
を高めているメーカーもあるようです。

ここでは話を食べ物に限定しますが、新しい素材、新しい味、新しい
食べ方、新しい加工方法の食材や食品などが吸引力を持つ場合は、
まず地元で需要のコアができて、それが他所(よそ)へと外へと同心
円状に、あるいは一部は隣接地域を飛び越えて広がっていくのでしょ
う。たとえば、最近ときどき話題になることですが、北海道の東部は酪
農の盛んな地域で、そこで放牧した牛が食べる牧草のいい影響で春
から夏と、秋から冬では牛乳の味が異なるそうです。「春・夏味の牛乳
や乳製品、秋・冬味の牛乳や乳製品」といった季節の違いによる2種
類の味を楽しんでもらうという発想は、全国的に歓迎される可能性の
高い北海道発の新しい味の提案かもしれませんし、既存食材の新しい
食べ方かもしれません。

では、一般的な需要がすでに全国にあって、その変種としての新しい
味付けや新しい食べ方がある地域であとからつくられた場合はどうで
しょうか。言葉を変えれば、ローカライズされたもの、ローカライズされ
た味や食べ方、ローカライズされた流れが、メインストリームとなる可能
性はあるのでしょうか。

後者での北海道の成功例のひとつは、札幌ラーメン、より正確には
札幌味噌ラーメンですし、前者のカテゴリーで行き詰ってしまった例が
ジンギスカン(羊肉の焼肉料理)だと思います(メインストリームには
なれなかったという意味です)。

ローカライズされたままでローカルに繁栄中の料理で身近なものは、
ジンギスカン、スープカレー、豚肉の焼き鳥などがあげられます。

蛇足風に「焼き鳥」の定義を引用しておきます。広辞苑によれば、焼
き鳥とは「鳥肉に、たれ・塩などをつけてあぶり焼いたもの。牛・豚など
の臓物を串焼きにしたものにもいう。『焼き鳥で一杯やる』」となってい
ます。

味のローカライズという点で驚いたことのひとつが納豆の味付けです。
長めの距離を利用したタクシーで熟年の運転手と雑談しているときに
納豆の話になり、納豆に砂糖をどれくらい入れるかと聞かれあわてて
質問の意味を聞き返したことがあります。納豆に砂糖と醤油を加えて
味を整えるのだそうです。同じ味付けの方法を、美容院の女の子から
も聞いたことがあります。「納豆はお砂糖」だそうです。うーん。それから、
知り合いからいただいた知床産の白作りイカの塩辛も甘みを強めにき
かせています。

さて、最初の経験仮説に戻って、ひとつの流れを定式化してみると、

「北海道生まれの人は甘い味が好き、なので、甘いものは地元で大人
気、甘いものの最近の代表がスウィーツ、だから、北海道のスウィーツ
は日本中でブレーク」

ということになります。

残念ながら、僕の舌は、砂糖を一切使わない紅玉のアップルパイのよ
うなわずかに甘いもの・自然でかすかに甘いものを好むので、女性好
みのあまーいスウィーツに関しては経験に裏付けられた積極的な意見
というのが今のところありません。

(Sep 2009)


ゆったりと、せっかち

便利な発芽用ツールがあります。結構な驚きでした。

直径5センチメートルくらいの太いろうそくを、高さ1センチメートルくらいに
輪切りにしたものを想像してください。平べったい円柱です。土がその形に
固めてあって、紙(といっても、時間とともに土に溶解してしまう性質のもの)
で、覆われており、上部は種が蒔けるように小さく開いています。

底から浸っていくように水を注ぐと、1センチメートルの円柱が背を伸ばし始
め4-5センチメートルになるので、上の隙間から種を3-4個ずつ落としま
す。紙がベージュと土が焦げ茶なので、お饅頭の雰囲気です。

果物を3個か4個まとめて売るときに使っているペラペラの透明なプラスチッ
ク容器をいくつか利用し、そこにそれぞれ12個ずつくらい並べ、日当たりの
いい場所に置いて発芽を待ちます。

この夏はずいぶんとお世話になったバジルとシソの時期も終わりなので、
二十日大根をそれらと入れ替えます。配偶者が種と「輪切りろうそく」を買っ
てきました。

早朝に2-3日水遣りをしていると、さっさっと葉を出し「私が一番」という表
情で凛としてすばやいのや、とてもゆったりとしていて集団の中で最後に
「ああ面倒くさいなあ、まだ眠たいのに」という感じで嫌々葉を出すのがいて、
眺めているとおかしいものです。

二十日大根なので動きが速いです。お饅頭の数は全部で48個、今のとこ
ろ、落ちこぼれはいません。

(Sep 2009)


輪ゴム鉄砲

書斎の機能も一部かねた自宅の仕事部屋は東側のベランダに面しており、
午前中は日があたるし風通しもよいので、晩春から秋までは、窓からすぐ
見える位置に花の鉢植えを置いてあります。丸い大きな鉢は1メートルくら
いの高さの鉄製の三脚台に載っており、机に向かうと、左手の方向に若干
視線を下げるくらいの位置に花が咲いています。

春から秋まで長持ちして手がかからないのが便利なので、今年は、オレン
ジ色のリーガーズ・ベコニアです。我が家では5月から咲き続けています。
結構、目が休まります。

留守の間に、2度、黒いギャングがオレンジ色を荒らしていました。現場は
目撃していませんが、犯行未遂の現場に遭遇して追っ払ったことがあるの
で犯人はカラスという名の黒いギャングに間違いありません。以前から、
興味本位なのか、餌でもいると思っているのか、花の植わった鉢植えを、
不定期に荒らしていきます。童謡のカラスは「まるいめをした いいこだよ」
なのですが、たしかに中にはかわいらしい目をしたのもいるのですが、ゴミ
をあさるのと同じ表情で乱雑に花をつつかれると、そいつのくちばしをガム
テープで留めてやろうかとおもいます。

配偶者がそういう場面に居合わせたときに、輪ゴムの鉄砲を撃ってみたら、
当りはしなかったのですが、カラスはびっくりして同じ奴はそれから姿を見せ
なくなったそうです。僕も同じ作戦で行こうと机の上にそのあたりでよく見か
ける黄色い輪ゴムを4-5個用意し、黒の来襲を待っていますが、そういう
時は嫌な雰囲気が窓際に漂いでるのか、まったくやってきません。

部屋の中で時々練習しますが、本物にはいつ発射できるでしょうか。カラス
は賢いので輪ゴムが当たると、へっ、こんなものかと次回からまったく逃げ
なくなるかもしれないので、羽を掠めるかわずかにはずれるくらいが今後の
抑止効果が持続するかもしれません。

(Sep 2009)


「さんま苦いか塩(しよ)つぱいか」

佐藤春夫の「秋刀魚の歌」という詩の最後の方に「さんま苦いか塩(しょ)
っぱいか」という有名な一行があります。

この詩には、結構ややこしい風景が漂います。友人の作家のもとを去っ
た奥さんとその小さな女の子が、離婚したらしい主人公の家で、焼いた
サンマに青いみかんを搾って一緒に食べる光景があり、そのあと、その
奥さんと女の子がそういう流れだったのか友人の元に戻ってしまい、しか
たなく一人で焼きサンマに、青いみかんではなく涙を搾って食べる景色が
続きます。で、一人で涙で、「さんま苦いか塩っぱいか」となります。

さて急に、「さんま苦いか塩(しよ)つぱいか」の詩の世界から物理的な世
界に移動しますが、「秋刀魚の歌」のサンマは結構スリムなサンマだった
かもしれません。2年前は、そういうことはまったく関心の対象外でした。

佐藤春夫は和歌山の方ですから、青いみかんを搾ってサンマを食べるの
は「その男がふる里のならひなり」ですが、この詩に登場するサンマはど
の辺りで獲れたサンマなのかが最近は気になります。この詩が書かれた
のがどこかは調べたらわかるでしょうが、ちょっと面倒なのでその場所は
東京ということにします。従って、主人公やその友人の奥さんやその女の
子が楽しんだサンマは千葉で獲れたものでしょうか。

我が家の今日の晩御飯のおかずは釧路のサンマです。それなりにまる
まるしていますが、夏の北海道の「まるまるサンマ」もおしまいで、サンマ
の漁場は太平洋側を三陸、千葉、静岡、和歌山へと南下していきます。
南下するに連れて「まるまる」サンマが段々と 「スリム」サンマへと変わっ
ていきます。

「秋刀魚の歌」の三人がいっしょに楽しんだのが、釧路の旬のまるまるサ
ンマだったら、詩の一部の表現は少しは変わったでしょうか。

(Sep 2009)


夏野菜のカレー

札幌の西南西に人口が5,500人くらいの蘭越(らんこし)という町が
あります。その町にある農園から野菜の定期便が届きます。7月から
10月にかけて「野菜の福袋」が毎月1回、そして8月はアイコという名
前の真っ赤なミニトマトが毎週土曜日に我が家に到着します。

その農園の野菜は無農薬・無化学肥料で育てられているので、農園
の主の性格も反映しているのでしょうか、野菜に力がこもっています。
「野菜の福袋」とはとくにどの野菜という指定をせずにその時期にその
農園で育った旬なもの、元気のいいものが選ばれてパッケージになっ
たものです。

8月のパッケージは、赤いミニトマトと黄色いミニトマト、大きな茄子と
懐かしい雰囲気のキュウリ、2種類の存在感のあるピーマン、そして
ササゲにシシトウと続いて、ズッキーニとミニ大根という組み合わせで
す。

それぞれに勢いと存在感があるのですが、元気の種類がすこしずつ
違うようです。内側に静かに力をひそめたようなもの、繊細な強靭さが
香るもの、芯の強さがじわっと表に滲み出しているようなもの、見るか
らにオテンバ娘の明るさが伝わってきそうなカラフルなやつなどが仲良
く同居しています。

サラダで食べたり、そのまま焼いたり、酢の物にしたり、味噌と絡めた
り、胡麻和えにしたり、元気な野菜はいろいろと楽しめます。

配偶者が「蘭越野菜」の元気を生かして夏野菜カレーをつくってくれる
そうです。わが配偶者のカレーはなかなかに大人の味で僕としては結
構いい点数をあげているのですが、さて、オテンバ娘やその他の元気
野菜をどうまとめ上げるのか楽しみです。

(Aug 2009)


鯖寿司(さばずし)

札幌市内のあるデパートで、正式名称はなんというのか、全国うまいもの
展のような催しものがあり、普段はこうしたものには関心がないのですが、
そこに京都・祇園の鯖寿司屋さんが出ているというので、初日の遅めの
夕方にそのコーナーに立ち寄り、二回目は数日後の週末の早い夕方に
出かけました。

我が家は昆布や酢をよく使うので、舌の維持のためにもこの鯖寿司や鯛
寿司は食べておく必要があります。

以前は、配偶者と京都に行った折りには時間があれば、青い灯赤い灯の
真ん中にあるそのお店に食べに行ったり、時間がないときには、売り切れ
でなければ駅ビルの一角で買い求めたりしました。

このお店の鯖寿司は、持ち帰りやお土産の場合は竹の皮に包まれた状
態で手渡されますが、そこに入っている商品案内から一部をそのまま引用
すれば、『鯖は日本海の脂ののった真鯖、ご飯は滋賀県産の江州米(ごう
しゅうまい)、昆布は北海道産の上質真昆布を使い、出来上がったお寿司
の美味しさを保つため竹の皮で包んでおります』。

その日の晩御飯に食べきれない場合は、二日間はそのままで持つので、
一部を翌日の朝ごはんにまわします。酢と昆布と鯖がさらになじんで作り
たてとは別の優雅な匂いと味を楽しめます。

(Aug 2009)


カレイの刺身

札幌に住んで結構なことのひとつは、北海道産のカレイの刺身が自宅で
食べられるということです。

マツカワカレイは時々しかお目にかかれませんが、その刺身は高級ヒラ
メ以上の上品な味ですし、マコガレイにもびっくりさせられます。刺身にし
たマコガレイの食味と食感の組み合わせは、カレイの味というものについ
ての一般常識をふきとばしてしまいます。

いつもの魚屋さんに活き締めにしたマコガレイが3尾並んでいました。
カレイにはかわいそうですが、血を抜いた切込み痕がとても新鮮です。
まだ生きているようです。

おろしてもらい、その日は半分を刺身で楽しみます。1尾の量が多いので、
残りは昆布締めにして、2日ほど寝かせます。昆布も当然北海道産の昆
布ですが、とれたあと、北陸地方で修行をしてきた奴です。鯛の昆布締め、
ヒラメの昆布締めは我が家の定番ですが、マコガレイの昆布締めはどん
な驚きを運んでくれるでしょうか。

(Aug 2009)


ラジオの野球中継

ケーブルテレビ局とそのプログラムを契約すれば全試合見られるらしい
のですが、それも面倒だしそんな時間もないのでなので、最近は、ラジオ
(中波)でときどき日本ハム・ファイターズの野球放送を楽しんでいます。

既存のステレオ装置に付属しているチューナーだとFM波はよく拾うので
すが中波は電気製品の付属品の邪魔もあって、雑音が多くてちょっと聞き
づらいので小型のAM/FMラジオを買い求めました。あたりまえですが、乾
電池でも使えるので災害時に部屋で聞くラジオとしての意味もあります。

ラジオで野球中継を聞いていると、災害時の雰囲気が結構リアルに想像
できたり、テレビが普及する前やその前後のラジオの野球放送、とくに夏
の甲子園の高校野球を思い出します。

札幌ドームには配偶者と手間ひまかけたお弁当を持って年に2回くらい出
向きます。配偶者はビールの効果もあるのか試合中は僕よりもにぎやか
です。そういうにぎやかさを隣に野球場の興奮の中にじかに身をおくのも
好きですが、ラジオ中継のアナウンサーの言葉で選手やボールの動きを
頭の中で追いかけるのも悪くありません。

札幌ではNHKのラジオ局が2チャンネル、民放が2局ありますが、音は
NHKの方が断然クリアです。電気の止まった災害時の情報収集にはNHK
がよさそうです。

(Aug 2009)


北海道の蝿、北海道の魚

蚊や蝿を手で捕まえるのは普通は楽な作業ではありません。宮本武蔵
の映画で、武蔵が飛びまわる蝿を箸で簡単にはさむ場面を見た記憶が
ありますが、蝿を素手で捕まえるとは、まあ、そういうことです。蝿叩きで
もないと手に負えません。それが僕の以前の常識です。

さて、札幌の蝿です。今朝、窓を開けっぱなしにしてあったら、小さな蝿
が一匹部屋の中を飛んでいました。僕はさして気にならないのですが、
配偶者が嫌がるので捕まえることにしました。

北海道の蝿はのんびりとおおらかに育ったのでしょうか。北海道の蚊も
そうですが、人間を恐れるという風情がなく、直線と鋭角で作る飛行の
軌跡とは無縁の、どちらかというとふわふわとした飛び方をします。飛ぶ
のに飽きたら、ガラス窓でぼんやりと休憩です。

窓ガラスでぼんやりしているそいつを、ティシューペーパーを手に巻いて
さっと捕まえました。やわらかく包み込む感じで捕まえたので、そのまま
ベランダにもっていき、ティッシューを開いて「そら行け」と飛ばしてやり
ます。

北海道の魚、北海道でよく獲れる魚も似たような性格かもしれないとい
うのが配偶者と僕の一致した意見です。ニシン、ホッケ、サンマなどは
大きな群れで海流に乗ってのんびりと幸せに泳いでいるのでしょうか。
かわいそうに、最後は漁師につかまり、僕たちの胃袋におさまってしま
いますが。

僕たちは白身魚が好きで、北海道近海モノのヒラメやマツカワ(カレイ)
にはとてもお世話になっているのですが、同時に最近は天然鯛のおい
しさを再確認しています。例えば、鳴門海峡や明石海峡でまわりと群れ
ずに個々に海流の中を動きまわったようなものは身がひき締まっていて、
刺身よし、昆布締めよし、酢締めよし、塩で焼いてなおよしという嬉しさ
です。札幌では、よい鯛の天然モノが近所の魚屋さんでなかなか手に
入りませんが、秋になって、活き締めの天然モノに出会う機会が増える
ことを期待しています。

(Aug 2009)


フォークソングとミルクセーキ

とても人気のある作家のようです。ずいぶんと前のことになりますが、
その作家のその時のベストセラーを読み始めてすぐに嫌になりその
本を放り出してしまったので、僕には退屈な縁のない作家だと思って
いましたし、今もそうです。

ただその理由がうまく表現できなかったのですが、最近、その作家の
翻訳したハードボイルド小説を読んでみてその理由を納得できました。
そのハードボイルド小説を僕が最初に読んだのは、別の翻訳家によ
るもので、それは今から30年以上前に出版されたものです。

そのアメリカ生まれの小説に流れる基調をかりに「ジャズとウイスキー」
だとすると、その人気作家の手になる訳では文体の基調が「フォーク
ソングとミルクセーキ」になっています。

「フォークソングとミルクセーキ」が大好きな読者にはたまらない雰囲気
と文体を持った作家かもしれませんが、僕の好みは「ジャズとウイスキ
ー」なので、あるいは、僕の好みは「フォークソングとミルクセーキ」から
は遠く隔たっているので、その作家の作品を最初のページに近い途中
で投げ出すことになったのでしょう。

ちなみに、ミルクセーキとは牛乳に甘味料などを加えて作る乳飲料の
1つで、ノンアルコールカクテルのひとつです。英語ではMilk Shake。
バーでもミルクセーキと呼ばれていました。バーテンダーがシェイカー
で作るのでMilk Shakeです。手近だと米国系のファーストフード店で
◇◇シェイクという飲み物が確かあったと思いますが、そこから類推
してください。(この種類のファーストフード店はここ20年近くは時間
調整のコーヒー以外でお世話になったことがないので、あるいは現在
はメニューにないかもしれませんが。)

(Aug 2009)


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早めのさよなら

夕方、ブリエッタ(ペチュニア系の花)を、4鉢処分しました。まだ花は
それなりの姿で咲いていますが、病気のかすかな兆候があり弱りかけ
ているようです。こうなると不思議なものでどこからかアブラムシのよう
な怖い小さな虫が飛んできて、弱り始めた花に繁殖し、その勢いは止
められません。かわいそうな気もしますが、自然のものごとの動きは
やはりどうもよくできているので、その循環に従います。

毎年、処分が遅れ気味になるのですが、今年は、早めに対応しました。
捨てられる土という杉の皮で作った軽い燃える土で育てたので、燃える
ゴミとして簡単に処理できます。

やっと夏らしい気温や日の光になってきたので、自家栽培のバジルや
シソを楽しんでいます。シソはほぼ毎日、バジルは週に一度。

配偶者が、秋きゅうりの苗を鉢に植えて10日ほど経ちました。黄色い
花がいくつか咲いています。そのうち、毎日一本分のきゅうりが食卓に
並ぶのでしょう。

(Aug 2009)


夏の梅雨

「どうも、北海道も梅雨ですかね。」8月になったばかりの日曜日、遅い午後の
美容室です。10年後は渋いおじさんになるに違いない30歳をいくつか過ぎた
担当の方が、本や雑誌からの知識と梅雨のある地域への自身の旅行経験を
混ぜあわせてくだした結論です。

気象台は、梅雨前線とやらがその地域にテータイしないと梅雨とは呼ばないみ
たいですが、地面を歩く生活者の感覚としては、これは、季節外れの梅雨と名
づけた方が気持ちのおさまりがいいようです。もっとも、北海道の梅雨は、たと
えば名古屋のそれと比較すると天国ですが・・・。「名古屋は冬の風が冷たい分
だけ、夏は暑くてじめっとしているんだ。足して2で割るとちょうどいい具合になる
でしょう、お客さん。」10年くらい前の夏の名古屋で、散髪屋の親父さんからもら
ったコメントです。

心配なのは北海道の農産物の成長と収穫。

ひそかに応援している、札幌から西南西へ70~80キロメートルくらいの場所
にある無農薬・無化学肥料の農園も、この雨で、歯ごたえがあり鮮やかな色と
勢いのある香りをもったその野菜の収穫量と収穫時期が不安定なので、苦労さ
れているようです。

(Aug 2009)


秋刀魚(さんま)

強さのある銀色で、背が高く、すっきりとした姿です。胸板が厚くとても
重量感があります。ウロコから指に新鮮さが伝わってきます。

北海道の秋刀魚です。

先週は秋刀魚の週でした。塩焼きを二度、夕食時に楽しみました。一度
はおなじみの魚屋さんでその日の朝に獲れたのを購入。10尾ほど並ん
だ中から、姿かたちのいいのを2尾、いつものオバサンに選んでもらいま
した。もう一度は、知り合いから、2尾のおすそ分け。「釧路の知り合いか
ら獲れたてを今日送ってきたものですが、どうぞ。刺身でもおいしいです
よ。」大きくて厚みのある秋刀魚です。

二度とも塩焼きです。楕円形の大きなお皿に焼きあがった秋刀魚だけを
載せます。スダチと醤油をかけます。焼きあがったら、他のものは後回し
で、一番最初に箸をつけます。

秋刀魚は太平洋の沖合いから南下してきて、北海道では7月の終わりく
らいからお店に並びはじめます。9月から10月にかけてが最漁期ですが、
漁場は太平洋側を北海道沖から三陸沖、千葉、静岡と下っていき、最後
が和歌山沖です。

あと2~3ヶ月は新鮮な味を楽しめます。

秋刀魚は焼くと匂いが部屋にこもり、通常の換気扇では効率が悪いので、
食後は窓を開け放って空気の入れ替えです。今年の変な気候のせいもあ
って適度に湿って適度に涼しい札幌の夜風が部屋から焼き秋刀魚の匂い
を追い出し、新鮮な空気を運び込んでくれます。

(Aug 2009)


ホッカイシマエビ

遅い夕方のデパートの魚売り場です。今日はエビの日だったようで、売れ
残ったらしい3種類のエビがそれぞれザルに盛られて、客を待っています。
その中にホッカイシマエビが30匹ほど入ったザルが2つ、手前の目立つ
ところに並んでいます。「お買い得だよ」というオニーサンの声が通ります。

エビは通年手に入りますが、このホッカイシマエビ(強いて漢字で書けば
北海縞海老)は、北海道の東側ないし東北側の一部の湾が漁場のいわば
季節限定品です。産地が限られているのと、場所によっては漁獲許容量を
もうけて漁獲期間を限定していることもあって流通量はとても少ないようで
す。有名な漁場は野付(のつけ)湾やサロマ湖、能取(のとろ)湖などロマン
チックな名前をもった湾や海の湖。白っぽい縞が入っているのでシマエビで
す。

今月は全然夏らしくなく涼しい毎日ですが、先週のハスカップといい結構珍
しい季節の食べ物に出会うことが多いようです。

オニーサンはホッカイシマエビをザルから破れにくそうな油紙の袋に流し込
み、お買い得のその値段を袋にマジックで書いて手渡してくれました。

蒸して食べます。上等な酢とわずかな醤油があればあとは何もいりません。
ここちよい歯ごたえと甘みがつたわってきます。

(July 2009)


ハスカップのパイ

ハスカップがこれほど強く存在感を増すとは思いませんでした。

生果実のハスカップはそのまま食べると、上品な酸っぱさと軽やかな甘みが
伝わってきて、食べ続けるのをやめるのが辛いくらいですが、果実そのもの
はとてもやわらかくて自分のわずかな重みで自身に傷がつくといった様子で
す。

パイの準備にとりかかった配偶者から声がかかります。日曜日の午後です。
「やわらかすぎて、ジャムにでもしないとパイは無理みたい。」同意します。
「お砂糖はどうする?」お砂糖なしでつくって途中で味見をして、それで判断
しようと答えます。

ジャムを作るときの匂いが伝わってきます。味見します。「和三盆を加えて
みますか」と配偶者が尋ねます。賛成、普通の砂糖は使いたくないね。

多めのジャムで1回目のパイです。鮮やかな赤紫色のハスカップジャムで
す。すごい存在感です。生のときの控えめな性格から、強い性格の存在へ
と変貌しています。量が多すぎたということもありますが、ハスカップの入った
パイを食べているというよりも、パイというお皿に載ったジャムだけを食べて
いる感じです。

「ひかえめに薄く延ばして生地の間にはさみこむように重ねた方がいいかも」
と配偶者が提案します。なるほど。

2回目のパイは翌日以降です。

(July 2009)


ハスカップ

生のハスカップをそのまま食べてみたいと思っていましたが、今までその
機会がありませんでしたが、昨日、あるデパートの、街路に面した臨時売
り場風のところで、地元で採りたてのサクランボとハスカップを売っていま
した。産地は定山渓(じょうざんけい)です。

定山渓は札幌市の南の一部で、市の中心部からは車で1時間弱。温泉で
有名で、僕は定山渓のお湯の質がとても気に入っています。東京やその近
郊に住んでいると、わりに気軽に箱根に足を向けますが、札幌の人にとっ
ては定山渓はそういう位置づけです。箱根では山を登るにしたがって複数の、
性質の違うお湯が楽しめます。定山渓のお湯は一種類ですが、肌がしっと
りとすべすべになる感じは箱根より上かもしれません。

ハスカップとは、果実ですが、日本では北海道(と本州の一部)でしか自生
しないそうです。ハスカップという言葉からは何も連想できないと思うので、
似ている果実をあげると、ブルーベリーです。色は深い青紫で、ぷくっとして
いて、ちょっと細長くて、果実の長さは2センチメートルくらいです。7月がハ
スカップの旬ですが、市場に出回るのは、自生ではなく生産(栽培)された
ものです。

売り場の責任者らしい若者に、普通はどういうふうに食べるのかと尋ねて
みましたが、すっぱいのでジュースかジャムですねという、どうもあたりまえ
の返事しか返って来ません。今までに飲んだり食べたりしたハスカップの
ジュースやジャムは、僕たちには砂糖の甘みが強すぎて、もともとの味を
生果実で確かめたいと思っていたので、その場で買い求めました。

我が家では、お酢を使った料理やお酢を使ったドレッシング、酢味噌、そ
れから「すだち」や「ゆず」の酸っぱさが好きなので、とんでもなく酸っぱい
ということがなければハスカップはそのままでおいしいはずです。

甘い上品な酸っぱさです。そのままでいくらでも食べられます。いくらでも
食べられるのですが、残念なことにそれほど大量には買わなかったので、
適当な数を食べたところでいったん休憩です。今度会ったら、その売り場
の若者をゴツンとやって、ジャムやジュースもおいしいがハスカップはその
ままでもとても美味な果実だと、説明の幅を広げた方がもっと売れるよと
言ってやろうと思います。

配偶者は、ハスカップを使ったパイを考えているようです。我が家では、
生食には少々酸っぱすぎる紅玉りんごを使ったアップルパイをりんごの時
期にはしばしば作りますが、砂糖などをまったく加えない紅玉そのものの
ほのかな渋い甘みが大人の舌を満足させるパイとなります。

どんなハスカップのパイができあがるでしょうか。味はパイに向いていま
すが、果実はけっこう柔らかいので、本当にちゃんとしたパイができあが
るのか(えー、当然ながら制作担当者というか製造責任者は配偶者です)
食べるだけの側としては興味津々です。

(July 2009)


夏の鯖(さば)

いつもの魚屋さんでは、活締め(いけじめ)された優雅な形のヒラメと
その近所に鯖が並んでいます。

この活締めのヒラメは、先々週も買いましたが、丸物なので量が多くて
2人でも1日では食べ切れません。普通に刺身で半分食べ、残りを昆布
締めにするか、最初から2回分の昆布締めとして翌日以降2-3日の間
の楽しみとするか、です。

さて、鯖ですが、種類は真鯖(まさば)です。ゴマ鯖はほとんど見かけま
せん。

おやじさんに尋ねます。「この時期の鯖はどういう食べ方がおいしいの?」
「今は、脂がのってないから、味噌の煮込みしかないねえ。でも、味噌だ
とおいしいよ。」

三枚におろしてもらいました。

勤め人相手に、お昼ごはんを食べさせる居酒屋がありますが、僕がかつ
て気に入っていたのは、還暦年配のご夫婦でやっているお店で、お昼は
3種類程度の魚の定食メニューのみ。その中に、旬の時期には頻繁に
「鯖の塩焼き定食」や「鯖の味噌煮込み定食」が登場しました。お客は中
年以上が多かったと思います。(札幌の居酒屋の話ではありません。)

そこの「鯖の塩焼き」はよく注文しましたが、「味噌煮込み」は味噌のせい
か、それ以外の味付けのせいか僕には甘みが強すぎたので、一度食べ
たきりです。お客の中にはこの甘さがいいとおっしゃる方もいて、鯖味噌
の味の好みはけっこう分かれるようです。

「鯖味噌」をつくるのは僕ではなくて配偶者ですが、配偶者は、びっくりした
ことには、「鯖味噌」を今まで食べたことがないそうなので、今まで食べた
ことのない人にどう僕の好みの味付けを説明したらいいのか。三枚におろ
してもらったときからある種の構想はあったのですが、簡単な否定形で行
くことにしました。「甘いのはダメ、ショウガの味と香りがよくしみていないの
はダメ、ボテッとした形はダメ、辛目の味噌でおいしい奴、云々。」

その夜は、合格最低点を相当に凌駕したと思われる仕上がりの「鯖の味
噌煮込み」を、楽しむことができました。

(July 2009)


ホッケの開き干し

網走の釣りキンキならぬ羅臼(らうす)の釣りボッケです。知床半島の羅臼
ではこの時期はホッケ釣りでにぎわっているそうです。ご近所の奥様から
「知り合いの魚屋さんがつくった『釣りボッケ』の開き干し」をいただきまし
た。先日差し上げた配偶者作成のバジリコソースのお返しだそうです。

大きくてずっしりと重い、いい表情をしたレアな仕上がりの干し物です。

一般的なホッケの旬は9-11月らしいですが、今回いただいた羅臼の
ホッケの脂の乗りはどうでしょうか。ガスレンジにかけます。炎の大きさを
調整をし、皮の方から焼きます。火が通るに従い、脂が身から流れ落ち
ます。ビールを飲みながら焼き上がりを待ちます。ひっくり返します。待つ
あいだ、またビールで幸せになります。

焼きあがりました。一番大きなお皿に乗せて、2人で黙々と食べます。フー。

羅臼は、羅臼昆布もそうですが、付加価値のついたものが得意みたいで
す。付加価値ホッケ、プレミアム・ホッケです。ありていに言えば、漁獲量
が少なくて値段が高いホッケです。

3年前の統計数字ですが、北海道でホッケの漁獲量の一番大きい地域
と比べると、羅臼のホッケ漁獲量は一番地域の漁獲量の17%、しかし
漁獲高(金額)は87%、つまり、ホッケ一定量あたりの価格が、漁獲量
一番地域のそれの5倍以上ということになります。味に支えられた地域
ブランド商品です。昆布で同じタイプの比較をすると、羅臼の昆布は高級
ブランドになっているので、結果は2倍です。すごい。

(July 2009)


心経雑感

般若心経という短いお経があります。要点しか述べていないのでとても
哲学的な内容のお経ですが、お坊さんが現代語に訳すより、ぶっきらぼ
うな仏教学者がサンスクリット語版も参照しながら、ぶっきらぼうに訳した
現代語訳の方により強く形而上学的な味わいが出ます。

ぶっきらぼうに訳した学者は、空を説いたお経、とまとめていますが、そ
してそれはそれでいいのですが、僕の好みの表現を別の場所から借用
すると、その内容は「一味」(いちみ)ということになります。こっち(色)と
あっち(空)とは同じ味・同じ味わい、あるいは、あっち(空)とこっち(色)
は名前が違うけれども、2つは同じひとつの経験の別々のあらわれ、と
いう意味です。

このお経はよく写経に使われます。寺の多い地域を歩くと案内版に写経
の集いのようなお知らせが目につきます。大勢の老若男女が(といっても
ある年代に偏っているかもしれません)お堂のような場所でいっせいに写
経をしている光景を想像すると、なんとなく気圧(けお)されますが、日本と
いうのはちょっとすごい哲学の国だなという感慨も同時にわいてきます。

僕の母親くらいの世代だと、般若心経あたりはそらんじておられる方が多
いようです。子供のころに覚えてしまったのでしょう。それにひきかえ僕は、
どうしても意味の展開の上でひっかかる言葉があり、それは無得や所得
の得の意味ですが、そのせいもあっていまだに暗記できていません。一応
そういうことにしておきます。みっともないことです。

(July 2009)


ジャスミン

ジャスミンから、甘い香りがただよってきます。ベランダのジャスミンは白い花を
つけて今満開です。東京だと5月下旬が花がいっぱいに咲く時期なので、札幌
は1ヵ月半遅れです。暑さと陽光が開花をうながすようです。6月の肌寒い雨の
続く間はじっとがまんしています。

7月から8月、9月とぐんぐんと葉が増えます。ツルが何本かの円形に配置した
支柱にからまり、伸び、そこからたくさんの葉が出てきます。鉢植えの高さと支
柱の高さの合計が2メートルくらいなので、秋には、ふわっと丸く細長い緑の
かたまりが2つできあがります。

夏の日差しよけに向いているので、いっぱい並べてカーテンにしようかとも思い
ますが、東京の冬は越せますが、氷点下以下の温度がつづく札幌の冬は残念
ながら越せません。で、カーテンはあきらめて、2鉢と10月までのおつきあいで
す。

(July 2009)


とても買いたいのだけれど・・・

出先でノートに少しまとまったことを書いたり、メモパッドにメモ書きする
ときに、僕は、もっぱらシャープペンシルを使います。芯の太さは0.9
mmで普通に市販されている中では一番太い芯です。濃さはBか2B。
柔らかい芯がなめらかに走るのが好みです。

インターネットでニュースやその周辺を見ていたら、うーんとうなってしまう
ような新製品の紹介記事に出会いました。新製品といっても発売開始は
1年以上前のようです。主な顧客が中学生・高校生だからかもしれません
がそういう商品があることをまったく知りませんでした。シャープペンシル
です。成熟市場における成熟製品分野での新製品です。

1年間で300万本売れたそうです。価格は1000円と450円の2種類。
平成19年の推計で、13歳から18歳、つまり中学生と高校生の人口が
グラフの目分量で720万人くらいなので、1年間で40%以上の中高生
がこのシャープペンシルを買ったことになります。

秘密は、書き手の筆圧を利用することにより、勝手に、『芯が回る。芯が
回ってトガり続けるシャープ。偏減り(かたべり)にさよなら。文字が太ら
ない。文字にムラがない。』(当該企業のホームページより)ことにある
ようです。

僕自身が既存のシャープでどうしているかというと、芯が偏減りをおこすと
意図した感覚で字が書きにくくなるので、ちょっと面倒だなとは思いながら
も、まあこういうものだから仕方ないと、シャープペンシルの本体の方を回
転させて、芯の偏減りに対応します。そのときシャープペンシルをポケット
などに留めるクリップ部分が親指と人差し指がつくるV字のあたりにひっか
かるので、この嫌な感じがないといいなとは思っていましたが、これを僕
自身の積極的な消費者ニーズとまでは意識していませんでした。

このシャープペンシルは、ある雑誌にこの商品の紹介記事を書いた早稲
田大学の野口智雄教授によれば『消費者の顕在的ニーズを具現化した
いわゆるマーケットイン・タイプの商品ではない。社長室広報担当の飯野
尋子氏が「シーズ型商品と言い切ってしまっていいと思います」と言う通り、
技術畑の発想からスタートした商品だ。』そうで、その登場の仕方もなか
なか気に入っています。

このシャープペンシルが現在対応している芯の太さは0.5mmと0.3
mmの2種類なので、0.9mm好みの僕は現在は顧客ではありません
が、0.9mm対応版ができたらすぐに1本ためしに買おうとは思っていま
す。

(July 2009)


バジルと紫蘇(シソ)

大通りの花フェスタの初日にバジルの少し大きめの苗を買ってきました。
札幌は夏の気配が定着したようなので、暑さと太陽がすきなバジルはぐん
ぐんと成長します。自家製バジリコソースのスパゲッティがまもなく定期的に
楽しめます。

紫蘇(シソ)は3週間くらい前から2鉢に植えてあり、6月の寒さと強い風に
たえて葉を茂らせてきたので、二日に一度くらいの割合で、大根やきゅうり
の軽めのサラダに混ぜあわせたり、イカの刺身のツマにしています。サラダ
に混ぜあわせると、サラダ全体の味をしゃんとさせるような芯の強い香りが
内側から匂い立ちます。

無農薬のシソとバジルです。

そのとなりには、大きく育つ種類のペチュニアの鉢が複数個あり、現在は
そうとうな数の花をつけて丸く円形に広がり、円の直径が80~90センチ
メートルになっています。

朝、カーテンを開けるとすぐ眼に入り、やあ、おはようという関係です。

(July 2009)


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花の季節

僕は雨の休日が好きです。雨の日は空気のしっとり感が適度にそのあたりに
あふれているので、本棚の入り口でたまっている本などをゆっくり読むにはな
かなかいい支えになります。

配偶者は、高気圧や晴れを好む人間の本性、というか生きているものの本性
を僕よりも濃く持っているようで、曇りの日や雨の日や、天気は悪くないのだけ
れど低気圧が接近しているようなときには、元気が出ません。動きが緩慢にな
って外出意欲もわかない様子です。しかし、雲のほとんどない大きな空で(札
幌は北海道ですから空が大きいのです)そのあたりの空気がキラキラしている
と起きぬけから元気で、外出意欲も旺盛です。

札幌のまん中にある大通り公園という場所で6月の末から花フェスタという催し
物が開かれます。札幌は観光都市ですから、こういうよく考えられたイベントが
とぎれなく開催されますが年間を通したイベントの全体企画設計者は、官の人
なのか官から委託された民の人なのかがいくぶん気になりますが、ここでは深
入りしません。

6月末からの花のお祭りとは、有り体にいえば展示即売会ですが、その開催
時期がとてもよく考えられていると思います。

ゴールデンウィークあたりから公園や街の通りはパンジー系の花でいっぱいに
なりますが、札幌の6月は、雨や曇りの日が多く風もぴゅーぴゅーと強くて、ペ
チュニアや日々草などの弱い花にとっては、ある程度保護された環境があれば
別ですがそうでないと、その時期に庭や軒下、窓際やベランダで華やかな開花
を期待するのは無理なようです。

6月下旬からは晴れと高気圧、そして夏らしさの登場で我が配偶者向きの季節
となります。そこに重なるように花フェスタです。週末は僕は配偶者の後ろから
花フェスタの会場をゆっくりと歩いていることと思います。

(June 2009)


時知らず

鮭(サケ)の話です。

対面販売のお店では時鮭(ときさけ)とか時不知鮭(ときしらずさけ)と
手書きポップのついた鮭の大き目の切り身を、春から夏にかけてよく
見かけます。今は6月の下旬ですが1ヶ月半くらい前から、徐々にその
鮭が目立つようになりました。大きな丸モノも売っていますが、丸モノは
一般家庭には見るだけで十分すぎる大きさなので普通の季節では購入
対象外です。

「時(を知っている)鮭」と「時を知らない(時知らず)鮭」では意味がまっ
たく反対です。はじめて、この二つの名称に同時期に出会うと、僕が馬
鹿なのか、売っている人たちが変なのか、それとも北海道の鮭ビジネス
関連の人たちは名前のつけ方がちょっとずれているのではないかと結構
イライラさせられます。

平安ギャルの書いたエッセイにでてくる「春は曙」ではありませんが、「鮭
は秋」です。秋鮭という普通名詞が鮭のよくとれる地域にはありますが、
鮭の旬である秋以外の時期、つまり春から夏にかけてとれるので「時知ら
ず鮭」と呼ばれはじめたようです。そして、近ごろは、それが省略されて単
に「時鮭」となりました。卵巣や精巣がまだ成熟していなくて 身肉に脂が
あるのでとても美味な鮭です。ロシア北部のオホーツク海に流れ込む河
川の生まれで、回遊中に日本の近海で漁獲されたもののようです。で、
「鮭は秋」、それに加えて「鮭は春から夏」ですが、春から夏というのは冗
長で落ち着きが悪いので「鮭は春」ということにします。主流と反主流、な
いしは、主流と変わり者のにぎやかな組み合わせです。

「時知らず鮭」は、塩焼きでも十分おいしいですが、我が家では味噌漬け
も楽しんでいます。目抜き鯛のような白身魚を味噌に漬ける場合は白味
噌が好みですが、鮭は、分類上は白身魚ですが、身の味の癖を考えて
現在は濃い目の味噌に寝かせています。しかし、そのうち相棒が茶色い
味噌から白い味噌へと変わるかもしれません。味噌や糟に鮭を漬けるの
は越後地方伝統の知恵だと理解していますが、日本の真ん中から北に
かけての日本海地方では当たり前の食べ方なのかもしれません。

北海道でよく売られる鮭には「大助」(おおすけ)や「マスノスケ」と呼ばれ
るものもあります。北海道近海でウロウロしているキング・サーモンのこと
だそうです。キング・サーモンは通常はカナダなどでとれた外国鮭なので、
そういう意味では変な奴です。「大助」と書かれた手書きポップをはじめて
魚屋さんで見た時に、「すみませんが、このダイスケというのはどんな魚で
しょうか」と売り場のおばさんに聞きました。「これはサケです。オオスケと
読みます。近所の海に棲んでいるキング・サーモンのことです。」と、この
馬鹿めといった表情も出さずに、あるいはそれをグッと押し殺して丁寧に
教えてくれました。

「大助」も、塩焼きでも味噌漬けでも、どちらでも食べる人を幸せにしてくれ
ますが、今は味噌の方に傾いています。

(June 2009)


食べ物の安全性と消費者のタイプ (その3、この項目の最後)

ちょっと、寄り道をします。

新しい種類の商品が出てきたときに、他の人がそれをどう評価するかなど
ということはまったく気にせずに自分の気持ちだけでその目新しい性格の
商品に抵抗なく飛びつく人と、ほとんどのまわりの人が使っているのを確
認できるまで決して手を出そうとしない人まで、消費者にはいくつかのタイ
プがあります。

この点に関して、マーケティング教科書の分類用語を借用すると(僕の方
言もまじっていますが)、

(1)一番早く買う人たちを「新しいものや新しい技術の好きな、たいていは
控えめだけれど、ときにはエキセントリックなところもある自己判断力の旺
盛なひと」、

(2)次に早く買うグループを「オピニオン・リーダー的で、時代の流れに敏感
で流行を作るのが好きなひと」、

(3)それに続くのが「流行には慎重だけれど、まわりから流行遅れだとはい
われたくないのでいい頃合でその流れに乗るひと」

(4)そして、そのあとが「流行には懐疑的でそんなものは買いたくないのだ
けれど、世間の状況からして、まあしかたないかとそれを買い求めるひと」、

(5)最後にあらわれるグループが「以前使っていたものがとても手に入りに
くくなってきたので、しかたなくそれを買うことになる保守的なひと」

です。

その標準的な割合は、順番に、2.5%、13.5%、34%、34%、16%と
想定されています。

この項の「その1」と「その2」で出てきた消費者タイプとなんとなく似たような
数字が並びますが、対象が人間集団の行為や判断ですから、対象の切り取
り方の違いにかかわらず、それなりに似たような比率があらわれるのでしょう。
上の新製品採用の場合では、「16%の論理」が重視されています。強い意思
や欲望を持って新製品を最初に購入するひとたちの割合が16%(2.5%+
13.5%)で、新製品の普及のためにはこの分岐点をできるだけ速く超える
方策をとることが大切だということになっています。そして(3)の人たちを相手
に売上を伸ばし利益を安定させます。

強い意志で最後まで新製品に手を出さないひとたちの割合も16%と想定さ
れていますが、正規分布で考えると、こういうパーセンテージになるので同じ
16%でもこちらは需要という点ではおまけの16%です。

寄り道からもどります。

食の安全にお金をかける人の割合は22%でした。食の安全に無関心な人
の割合は23%です。食の安全に関する知識を持ちながら、実際の消費行動
になると安全や安心は頭の中から抜け落ちてしまい、安さという別のわかり
やすい方向を向いてしまうとおもわれる人の割合は52~53%、そして沈黙
の人が2~3%です。

統計数字として利用するだけでなく、スーパーやデパートやショッピングセン
ターや八百屋や魚屋で品物を手にする方がどのタイプかを考えてみるのも
ミクロの視点ではそれなりのマーケティングかもしれません。あまり、いい趣
味とはいえませんが。

(June 2009)


食べ物の安全性と消費者のタイプ (その2)

2003年の調査ですから、時期的には、2002年から2007年にかけ
ての輸出に支えられた好景気の入り口付近ですし、まだ食品偽装や輸
入食材・輸入加工食品の安全性の問題が表面化するまえなので、現在
は少し様子が変わっているかもしれませんが、景気の急速な悪化とか
食料自給率の議論とか国産加工食品への回帰とか、各比率へのプラス
とマイナスの要素が、その後それぞれまじりあって出てきているので、こ
の比率に特におおきな変化はないように思います。

積極型と健康志向型を足し合わせると22.1%になります。

この方たちは、知識量の多さ・少なさは別にして、「お金をかけても食の
安全を買うつもり、食の安全はただではないから追加的な出費は覚悟す
る、食の安全は付加価値だからその付加価値を作り出している生産者
に追加支払いをする」、といった強い意思を共有しているようです。

無関心型が23.0%ですが、この方たちにも、「食べ物なんて基本は
おなじだから、ともかく値段の安い方を選ぶ」という別の方向の強い意志
が見られるようです。

分裂型と名づけられたグループに属するひとたちの食品選択基準は、
他のグループにくらべて若干ふにゃふにゃしているようですが、基本は、
「より安くて、値段と味のコストパフォーマンスが納得できるものならなに
も悪いことはないわけで、特売品などはうれしいかぎりで、問題のある食
品がふだん市場に出回っているわけはないので、食品添加物とかについ
てけっこう読み聞きはするけれど、目の前の魅力的な価格の食品には
勝てないわね」、と一般の食べ物以外の消費財を買うのと同じきもちで
買っているのでしょう。

ただし、このグループは食の安全性に対する知識は持っているので、い
ったん、ある食品が問題を起こすと、ふだん買っているその食品に対し
て攻撃的な集団パワーを発揮する傾向も強いようです。『風評被害の原
因となる層』というのがその集団パワーの意味です。

さて・・・

安心な道産食材の生産者や、そうした道産食材をつかい消費者の体と
味覚に配慮した加工食品会社にとって、対象となる市場はどれくらい大
きいだろう、どれくらいの割合でセグメントサイズを想定するのが保守的
な立場で考えた場合には適当なのかを確認するというのがこの項目を
書き始めたきっかけです。

そうした生産者や加工食品会社とは、たとえば、この雑感の「がっかりと
がんばれ」の項に出てきた製麺会社や、あるいは、ある会合でお会いし
た家業として有機野菜の栽培・販売とその瓶詰めのような野菜ビジネス
をやっておられる道南のご夫婦とかのことです。

やはり、というか、どうも、というか、20%強がボールパーク・ナンバーの
ようです。

(ボールパークは野球場、以前よく推定入場者数という言葉が使われて
いましたが、ボールパーク・ナンバーとはそのことです。ここでは、安心食
材や安心加工食品の推定潜在顧客数、正確には推定潜在顧客比率で
す。)

ここで対象となっているのは消費者市場ですが、これ以外に安心な食材
や内容のしっかりした加工食品を必要とする、あるいはそれらを好む業
務用の需要を持った市場がありますが、ここでは触れません。

(その3に続く)

(June 2009)


食べ物の安全性と消費者のタイプ (その1)

興味深い調査結果があります。2003年に福岡市民を対象に実施された
アンケートに基づくものですが、内容に示唆があるので、研究者や雑誌な
どが自身の解釈をくわえて講演資料や記事につかっています。(2003年
「福岡市民の食生活の関するアンケート」:福岡都市科学研究所=現・福
岡アジア都市研究所、対象は福岡市に住む満15歳以上の男女1000人)

ここでは、かつて食品添加物ビジネスの専門家で、現在は食品添加物の
功罪を軸に食べ物に関する啓蒙活動をなさっている「安部 司」氏の著作
物から、氏が同アンケートに氏の経験値を加味して表現や解釈に修正を
加えたものを引用します。(「食品の裏側」238ページの図版。「もともとは
農業のデータだが、添加物についても同じことが言える。無回答があるた
め、合計は100%にならない。」)

食べ物に関して、消費者をいくつかのタイプに分類すると以下のようになり
ます。

ここでの分類の軸は二つで、ひとつが「食の安全への理解度が深いか浅い
か」、もうひとつが「食べ物の安全性に対してお金をかけるかどうか」です。
いいかえれば、「安全性についての知的理解」と「実際の消費行動という体
の反応」に相関があるのかどうかの分析を含んだタイプ分類ともいえます。

消費者は4つのタイプに分かれています。
(図版から文字と数字を組み合わせて引用)

1.積極型: 5.5% 

-食の安全への理解は深く、食の安全にもお金をかける
-「食と農」は生命の源であるので、安全なものなら多少高くても
買うし、援農活動にもなるべく参加

2.健康志向型: 16.6%

-食の安全への理解は低いが、食の安全にお金をかける
-家族の健康や食の安全性を守るために食生活に注意しているし
生協の購入活動や青空市場などもよく利用

3.分裂型: 52.4%

-食の安全への理解は深いが、食の安全にはお金をかけない
-食の安全性を求めながら、店頭では安い農産物に群がる。風評被害
の原因となる層

4.無関心型: 23.0%

-食の安全への理解が浅く、食の安全にもお金をかけない
-食への関心はなく、安ければ何でもいい層

(引用終わり)

(その2に続く)

(June 2009)


ベンチマーク

ある種の基準を用意してそれと比較することをベンチマークといいます。ある
会社が、似たような業種の他社数社と、たとえば給与水準や評価システムを
比較して、従業員のモチベーションをもっと高めたり、新卒者や中途採用者の
人気を回復するには現在の給与体系や評価システムなどをどう変えたらいい
かを考えるといったような文脈で使います。

配偶者は酒飲みではないので明太子やイカの塩辛のようなものは自分から好
んで食べることありません。なので、配偶者に明太子やイカの塩辛を食べさせ
ると面白いことが起こります。添加物のそれなりに入ったいわゆる売れ筋商品
はたいてい彼女ののどを通りません。いい塩を使っていて添加物の入っていな
いものは、おいしいと言って食べてしまいます。もっとも、添加物の入っていない
ものでまずいものもそれなりの割合でありますから、そのあたりはきちんとした
自分なりの線引きが必要です。つまりは自分の舌の問題です。

食べ物に関しても、僕たちはそれぞれがベンチマーク基準を持っていて、これ
はおいしいとか好ましいとか箸にも棒にもかからないといった比較をしたり判断
をしたりしています。ときどきつまむイカの塩辛に関しては、昨年の春に松前城
のすぐそばの古い宿で食べ、その宿の近所の松前漬けのお店で買い求めた
ものが、現在の僕のベンチマーク基準になっています。

(June 2009) 


「がっかり」と「がんばれ」(続き)

「がっかり」についての追加はありません。「がんばれ」の方の続きです。

(最初の「がっかり」と「がんばれ」はこちら)

結局、その製麺会社のラーメンは僕たちがふだん立ち寄るお店やとき
どき足を伸ばしてボーケンするお店にも置いてなかったので、その会社
のホームページのお問い合わせ画面から、ゆでうどんがおいしかったこ
と、だから生ラーメンを探しているのだがまったく売り場で出会えないこ
と、できたら生ラーメンとタレのセットではなく生ラーメンだけを買えるお
店を知りたいこと、などを書いたメールを送りました。

次の日に丁寧な返事があり、長い散歩でカバーできる距離にあるお店
の名前と商品名と値段が書いてありました。

週末まで待つつもりでしたが、ちょっとときめくものがあり、メールをもら
った日の夕方に、違った方向への外出のついでに地下鉄を乗り継いで
その店まで足を伸ばしました。各種の自然な加工食品や天然酵母のパ
ンを中心にした細長い小さなお店です。そのあたりは散歩で通過するこ
ともある地域ですが、通りからとくに引っ込んでいるわけでもないのに、
今まで気づきませんでした。

さて、生ラーメンです。そのお店の名前(□□)の入った商品になってい
ます。「□□ラーメン」というビニール・パッケージです。下の方に小さな
字で製造元としてその製麺会社の名前が印刷されています。それほど
数がさばけるわけではないでしょうから、いわば、「ミニ」OEMです。2
人分だけ買い求めました。となりに、同じ「ミニ」OEM商品の生パスタが
並んでいましたが、今回はラーメンだけが対象です。細い麺です。ゆで
時間2分と書いてあります。

翌日、早速、ラーメンです。我が家では、味がよくて比較的手に入りや
すい地養鳥の手羽先でつくったスープストックがお汁のベースになります。
いろいろ試した結果、我が家では味噌味が標準で、有機野菜がいっぱ
いとゆで卵がはいります。一度、配偶者と我が家の味噌ラーメン一杯の
原価計算をしたことがありますが、まじめな材料でまじめに作って適正
利益を乗せたらどれくらいの値段になるかの感覚がつかめ、この数字
はそれなりに役に立っています。物好きでないと支払う気力の失せる
結構な値段です。

今回も、その標準環境とこの生ラーメンとの組み合わせです。細いけれ
ど、しっかりと腰があります。いい味です。ただ、とても繊細な麺なので、
我が家の標準環境は、ふだんひいきにしている競合会社の麺とはいい
調和をするのですが、この繊細な麺には組み合わせの相手としてすこし
強すぎたかもしれません。たとえば、あっさりとしたダシをベースにした
醤油味だと、確実にもっといいコラボレーションになったと思います。

気に入ったので、食べた後、この製麺会社はどういうビジネスをしてい
るのだろう、どんな顧客の構造なのだろうという好奇心が勝手に動きだ
しました。

ホームページを手がかりに知的ボーケンです。ホームページの目立つ
ところには一般消費者向けの情報を載せているだけなので全体像が
見えてきませんが、その他のサブ的な部分や企業ブログ的な通信欄を
丹念に読んでいくと、ビジネスの考え方やターゲット顧客や商品政策や
流通チャネルが徐々に見えてきました。詳細には触れませんが、とて
も応援したいタイプの会社です。

(June 2009)


札幌の短い梅雨

休日の早朝です。外は弱い雨で、気温は15度、湿度が89%です
(温度と湿度は「札幌お天気ネット」から)。この季節の休日の雨は、
出かける用事がなければ、外気はしっとりとして、街の緑もホコリが
洗われてより鮮やかになるので、けっこう好きです。うっとうしさが少
ないので、体で感じる湿度は気象台観測湿度よりも相当に低いです。
先日ツアーバスの窓から眺めた稲も、この雨を楽しんでいることで
しょう。

これで、1週間、短い晴れや曇りを間にはさんで雨が細く、ときには
強く降り続いています。

昨夕、タクシーに乗ったとたんにまた細かい雨が降り始めたので、
運転手に聞きました。

「運転手さんは、北海道育ち?」
「ええ、ずっと。」
「最近雨の日が続くけど、梅雨みたいだね。僕は梅雨のあるところ
から来たので。」
「そうですかねえ?北海道は、雨が少ないですよ。」

僕の中では、札幌の短い梅雨です。そういえば、1年ほど前に、同じ
ような会話を、女性のタクシー運転手と交わしたことを思い出しまし
た。

「お客さん、北海道には、梅雨はないのです。」

(June 2009)


花の個性

ブリエッタという名前のペチュニア系の花を植えた鉢植えが6個、高さが
50cmくらいの鉄のスタンドに乗って、並んでいます。今は6月になった
ばかりですが、葉と茎が結構な速度で成長中です。あと3週間くらいで、
直径が1メートルくらいの大きさにまで大きく育ち、ベランダが華やかに
なります。

鉢植えは6個ですが、花の色は淡いブルーと白、濃いピンクと淡いピンク
の4色です。ゴールデンウィークの後半に配偶者と役割分担をしながら苗
を植えたのですが、育つ過程を見ていると、色によって違いがでます。植
え付け時には色はわからないので苗の購入時についていたプラスチック
の写真見本を鉢に差し込んであります。

ブルーは、まだ小さなときから、花を咲かせます。葉の成長にあわせて
すこしずつ花をつけます。最初から人の眼をひきつける術をしっているよ
うです。ピンクは、花などにはわれ関せずといった雰囲気で、ただ葉を茂
らせることにしか関心がないようです。そのうち、時期がきたらワット咲い
てあげるから、それまでは水遣りだけはしっかりとねと、いっているようで
す。白はその中間、ときどき花を咲かせて人の気持ちが遠ざからないよう
にしながら、葉を茂らすことに没頭します。

成長過程にある子供の個性の違いに似ていますが、それよりも、男性に
対して女性が見せる姿勢の違いに似ているように思われます。女性と比
べる方が、楽しめます。

(June 2009)


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天日干しのアジ

先日、天日干しの「どんちっちアジ」を買ってみました。値段はとても手頃です。
小ぶりですが、焼いていると、脂の乗りのよさが伝わっていきます。焼きあが
ってくるときの香りと匂いが食欲をかきたてます。当然のことながら、残すとこ
ろは頭から尻尾の先までまったくありません。それぞれの部分をゆっくりと味
わいながら、まるかじりです。

非常に脂がのった旬のアジを島根県の西部地域(石見地方、とくに浜田)では、
「どんちっちアジ」という名で売っています。「どんちっち」とは石見神楽のお囃
子をさす幼児言葉だそうですが、それをブランド名にしました。「どんちっちアジ」、
「どんちっちのどぐろ」(のどぐろとはアカムツのこと)、「どんちっちカレイ」の3種
類がどんちっちブランドの魚です。脂が乗っていて淡白というのが、要約すれば、
どんちっちブランドの売りのようですが、納得です。島根は、「だんだん」(ありが
とう、の意味の出雲地方方言)というブランドをつけた竹輪などもそうですが、
地元方言をブランド名に使うのが得意なのかもしれません。

北海道だと、動きを感じさせるものや色・形を連想させる表現を好むようで、
網走の「釣りキンキ」や、サンマでいえば根室・歯舞から浜中、厚岸(あっけし)、
釧路に至る太平洋に面した漁協がそれぞれプロモーションしている「舞さんま」、
「日帰りさんま」、「大黒さんま」、「青刀」ということになります。昆布の場合は、
長い生産の歴史と加工流通業者の戦略と活躍を背景に利尻昆布や日高昆布
や羅臼昆布のように地名と特徴と味が一体化したブランドになっています。ただ、
北海道は昆布の生産基地ではあっても消費地域ではないので我が家のような
昆布好きには、なんともったいない、と映ります。地産地消という言葉からは、
とてもはなれたところにいるのが、北海道の昆布です。

魚の干物は我が家の好物のひとつで、北海道より南の魚だとエボダイ、カマス、
ノドグロ、アジ、サバなど、北海道だとホッケやカレイ。これに目刺しや干し
シシャモを加えると、干物メニューの完成ですが、天日干しと電気干しの差を
嫌というほど見せつけられるのが干物の魚です。その違いはまず焼いている
間の香りにでます。それは丁寧な原木栽培のシイタケと菌床栽培のシイタケ
を蒸し焼きにして塩とスダチだけで食べたときの差に似ていますが、電気の
場合は自然乾燥ではないやりかたなので、それ以上の開きがでるようです。

天日干しは相対的に価格は高くなりますが、おいしさという附加価値は電気
よりもはるかに上なので、食べる回数を減らしても天日干しを選ぶのが我が
家のスタイルです。こういう分野で生きている生産者に頑張り続けて欲しいの
で小さな応援を届けているつもりです。

(May 2009)


「がっかり」と「がんばれ」

この季節は配偶者と週末の夕方に散歩することが多いのですが、
お互いに生鮮食品類に興味があるので、初めての専門店でも
初めてのスーパーマーケット系のお店でも気が向けば立ち寄って
生鮮食品類コーナーを散歩の邪魔にならない程度にボーケンし
ます。ここでいう生鮮食品類とは、野菜やきのこや魚、ラーメンや
ゆでうどんや納豆やかまぼこや豆腐、そしてイカの塩辛などの生
鮮食材と生鮮加工食品のことです。パンやクロワッサンも含まれ
ます。

麺類やパン類で「北海道産小麦100%、添加物なし」の商品に出
会うと、出会う頻度が少ないので、まずうれしくなります。北海道産
小麦を含むものはけっこうあるのですが、北海道産小麦100%と
なると対象が少なくなります。そこに、普通の作り方という条件、つ
まり添加物なしという条件をつけると、対象はぐんと絞られます。
添加物は味を調整したり、見た目の色をきれいにしたり、商品を
長持ちさせるための道具ですが、そういうものなしでおいしい伝統
的なつくり方の加工食品もたくさんあります。

北海道の会社ではありませんが、「有機・無添加・おいしい」を軸に
食材や加工食品の選択と販売をしているところがあって、そこでと
りあげている明太子などは、信じられないくらいおいしい。ただし、
一般に売られている明太子と比べると色の鮮やかさには欠けます。
食欲をそそる色というのも消費者ニーズの重要なひとつですが、
このあたりは食べ物に対する考え方の違いがでてくる微妙なところ
です。

麺類やパン類に戻ります。

あるお店のパンコーナーで4-5個の丸型パンが袋詰めされたもの
を見つけました。裏のラベルを見ると、ハルユタカが100%で添加
物はまったく入っていません。同じメーカーの別の商品にはパンに
はごく一般的に見られる添加物が記載されています。そのメーカー
の方針がよくわかりません。「これ、どうだ?」とハルユタカのパンを
配偶者に指さすと、配偶者は、袋を手に取り、そのパンを見つめ、
「おいしくなさそうだからやめておけば。」と言います。しかし、食べ
てみないとわからないだろうという気持ちの僕はそれを一袋だけ買
うことにしました。2時間後に自宅で味見をした僕の感想は「お前、
ハルユタカに失礼だろう。」というものでした。「がっかり」です。こん
な味と食感に加工されるとは、最高の素材がもったいない。

休日のお昼ご飯にスパゲティーやラーメンやうどん(お汁うどんと焼
きうどん)を作って楽しむことが多いのですが、野菜のいっぱい入っ
た我が家風焼きうどんの素材は袋詰めの「ゆでうどん」です。ただし、
北海道産小麦100%のものだけを購入します。何種類かためし買
いをして、おいしくなかったものは、再購入しません。ひとつだけ、リ
ピーターになっている「ゆでうどん」がありますが、我々の行動範囲
では特定の店舗でしか見かけません。

散歩中に、あるスーパーマーケットの店舗に初めて足を踏み入れま
した。スーパーマーケットですからチェーン店です。以前、別の地域で
文房具を買ったついでにのぞいた食品売り場では特別な印象もなか
ったので、その店舗の前を通り過ぎることは何度かありましたが、同
じような品揃えだろうと思い中に入ることはありませんでしたが、その
日はどんな野菜が並んでいるか見てみるか、ということになりました。

きのこ類がいっぱいあります。ホンシメジや、白いふんわりと丸いさん
ごのようなヤマブシダケも並んでいます。今日だけ特別という感じで
はありません。常備品の印象です。大きなエリンギもありました。有機
ではありませんが特別栽培の野菜コーナーもあり野菜も生き生きして
います。ホンシメジとエリンギと水菜をカゴに入れました。

野菜の印象がよかったので、納豆やラーメンやゆでうどんの売り場
も見ることにしました。そこで、あるゆでうどんを見つけました。はじ
めて見る商品です。札幌の製麺会社ですが、会社の名前も初めて
です。材料は100%の北海道産小麦と、あとは塩のみ。添加物なし。
値段も手頃、というより安いかもしれません。袋のデザインは地味で
す。

次の日に早速、野菜がいっぱい入った焼きうどんです。おいしいです。
腰の強さやつるっとした食感だけなら上質の讃岐うどんの方が上か
もしれませんが、腰もしっかりしていて麺そのものの味わいは、この
札幌のうどんの方が勝っています。もう一度食べてみてよければ、
我が家の定期購入食品にするつもりです。こういう商品に出会うと、
「がんばれ」と応援したくなります。

この会社のホームページを拝見すると、ラーメンにも力を入れている
ので、我が家製のスープストックと我が家風味付けで野菜をたくさん
入れて近いうちに一度食べてみようと思っています。ちょっと気になる
製麺会社です。

蛇足ですが、レジ袋に5円も払うのは嫌なので、こういう場合にそなえ
て、小さく折りたためて軽くて容量があってとても持ちやすい、配偶者
がオマケでもらった買い物用バッグを持ち歩いています。ポケットに
すっと収まるので、散歩の邪魔にもなりません。

(May 2009)


国や村を守る神様

以前、僕の書斎の本棚や壁にたくさんのフクロウが生息していました。
木のフクロウ、金属のフクロウ、陶器のフクロウ、クリスタルのフクロウ、
版画のフクロウ、ハンコのフクロウなどです。現在は、居間に引っ越して
きた版画のフクロウと金時計の片メガネをしたとても滑らかなクリスタル
のフクロウ以外は、箱の中ですやすやと睡眠中です。

それらのフクロウの国籍は、アメリカ、メキシコ、ウルグアイ、イギリス、
フランス、香港、シンガポール、インドネシア、そして日本などです。日本
製や版画以外は現地で買い求めたものと、どこかの輸入雑貨店で衝動
買いしたものがほとんどです。

僕の母親は、フクロウには人間に襲いかかるような恐ろしさがあると
言ったことがあります。肉食ですからそうかもしれませんが、僕にはそう
いう経験がありません。

5メートルくらいの近さで灰色のフクロウをしばらく眺めていたことがあり
ます。日本からはずいぶんと経度の違う南半球の国です。木の枝にとま
り、首をゆったりと回していました。数分間はそのままでしたが、人間と
向き合うのに飽きたのか、こんなにゆっくりと羽ばたいて空中に浮かぶ
ものかというくらいゆったりと羽ばたいて、どこかに飛んでいってしまいま
した。

先週末に阿寒湖畔のアイヌコタンで大きな木彫りのシマフクロウの神様
に出会いました。しばらくその場から動けないような力があります。国や
村を守護する神様をコタンコルカムイ(フクロウの<姿をした>神様)と
いい、その神様は「ふだんは落ち着いて、眼をつぶってばかりいて、よほ
ど大変な事のある時でなければ眼を開けない」(「銀のしずく降る降る」:
知里むつみ修訳より)のだそうです。

箱の中ですやすやと睡眠中のフクロウは、どうも、そのままにしておいた
方がよさそうです。

(May 2009)


開墾地

タマネギで有名な北見市から石北峠に向かう道路は、無加川(むかがわ)
という川に沿って伸びていますが、この道路に沿って、正確には川に沿って、
いかにも開墾地という光景が広がっています。どれほど前に開墾したので
しょうか。バスの窓から見た景色です。川の名前は、その場で、手元の地
図で調べました。

奥行きが60~100メートルくらいの幅の畑作地が川に沿って、程よい区
切りをつけながら、延々と続きます。畑作地のすぐ向こうは、高さ10メート
ルくらいの白樺の密集した林です。白樺林を切り倒して、開墾したのでしょ
う。木を切り倒すのは勢いでできそうな気もしますが、残った木の根っこを
掘り起こして耕作地にするには結構な量の作業と忍耐が必要だと思われ
ますが、その忍耐の量が伝わってきます。

そのようなことをぼんやりと考えながらバスに揺られていると、まさに今開
墾中の区画が現れました。木は切り倒してありますが、木の切り株はまだ
そのままです。開墾を中止して打ち捨てられた一画かなとも思いましたが、
そこだけが別扱いということは、その一角までの、そして、周囲の雰囲気
からしてなさそうです。1~2ヵ月後にはできたての耕作地になっているこ
とでしょう。

バス・ツアーで窓ガラスの向こうをきょろきょろしていると、予定していなか
った、印象に残る風景に出会うことがあります。別の交通手段だと見落と
してしまうかもしれませんし、列車だと、そもそも上述のような風景のそば
を通らないかもしれません。自分で初めての場所を運転すると、「ぼんや
りとキョロキョロ」が難しくなります。団体旅行の制約もありますが、バス・
ツアーの良さを見直しています。

(May 2009)


北海道の田園風景

週末を利用して配偶者と3日間のバス旅行をしてきました。札幌から
十勝平野を横切り、阿寒湖、摩周湖、清里、斜里、知床半島、網走、
北見、旭川、そして札幌という、3日間で1000キロメートルのバスの
旅です。

北海道は、広大な畑のイメージが標準で、美瑛のような場所を引き合い
に出さずとも、そのイメージはいろいろな場所で確かめられますし、楽し
めます。とくに、東北に位置する知床にいたるあたりまでを含んだ北海道
の東半分はジャガイモや玉ネギや小麦やビート(てんさい)の主要な産地
なので区画の大きい、機械を使った耕作にむいた畑が一面に広がります。
今回の旅行では、苗の植え付け直前か植え付け作業中か植え付け直後
の畑の風景を車窓から楽しむことができました。iPodから伴奏のないチェロ
が流れてきます。

網走から北見盆地を抜け、峠を越え、雪の消えない大雪山を左に見な
がら、「川」のつく地名をもつ地域に近づく辺りから農作地の雰囲気が
徐々に変わってきます。

最初の「川」は上川、次に旭川、深川、滝川、砂川、そして、川ではあり
ませんが、岩見「沢」にいたる一帯には、懐かしいような田園風景が連
なります。田植え直前の、水がはられた状態の田がどこまでも広がって
います。田んぼの各区画は小さくて、大雪山を左にしてとてもゆるやかな、
カーブとは意識できないほどの大きさの左カーブで走っていくバスの窓か
ら目にする光景は、東海道新幹線から見る田園風景を思わせます。ちょ
っと強引ですが、大雪山が富士山です。

江別に入ると、また畑の光景へと変化します。

地名というのは、後に地域統合などで人為的にその由来をきってしまわ
ない限り、何かを意味していることが多いようです。川や沢は水ですから
畑作ではなく稲作向きということになります。稲作の苦労が相当にあった
と思いますが、結果として地名 (この文脈では、比較的若い日本語の地
名ということですが) と農産物が時間をかけて適合したようです。

(May 2009)


「曲げわっぱ」のおひつ

秋田・大館の「曲げわっぱ」が好きで、大事に使っています。使い込ん
でも使うたびに、秋田杉の香りがほんのりと漂います。

弁当用に使っているのが何種類かありますが、よく使うのは楕円形の
もので、同じサイズを同時に2つ利用します。ひとつにはごはんと漬物
が入り、もうひとつにおかずが入ります。

ほぼ毎日使うのがおひつで、時々使うのが寿司ごはん用の飯切りです。
(正しくはなんというんでしょうか、炊き上がったごはんにスシ酢をうって
チャッチャッと切ってまぜるためのおひつ、大きめで背の低いおけのこと
です。) 寿司といっても、我が家で作る寿司は、ニンジンと椎茸と
かんぴょうとゴボウとタマゴとインゲンや絹サヤなどのいっぱい入った
野菜のチラシ寿司です。朱色と茶色と黄色と緑色がにぎやかです。気が
向けば、太巻きもつくります。

毎日使うおひつは、なでるとさらっとしていてなめらかで柔らかで、いつ
までも触っていたいような木の肌です。「これが一番出来がいいからこれ
にしなさい。」と「曲げわっぱ」おひつの製作者本人が即売展示の会場で
僕たちに勧めてくれたものです。

我が家では、炊飯器はほとんど使いません。玄米や3分づきをたべること
が多いので圧力鍋や多層構造の鍋で炊きます。炊き上がったご飯は、
おひつに移しかえてそこで休憩させます。おひつで休憩させた方がお米は
断然と本来の実力を発揮します。休憩場所は大館うまれの「曲げわっぱ」
です。

(May 2009)


昆布と酢

新鮮な魚は刺身で食べるのがいいのはわかっていますが、もっとおいしく
したいとか、少し別の味わいを引き出したいと思うことが、しばしば、ありま
す。

で、我が家ではタイやヒラメのような上品な白身魚を昆布や酢でしめて楽し
んでいます。酢でしめるといえば、とても小ぶりな背黒イワシを酢で丹念に
ピリカラ風味にしめたものを知り合いから正月前にいただいたことがあります。
正月料理の前菜風として作ったものです。背黒イワシの目刺しは我が家の
常備品ですが、酢で見事にしめられた小ぶりなそれは、途中で箸をおくこと
のできない味わいでした。

旬の時期の新鮮なサバも、鮮度を売り場でたしかめて、シメサバにします。
塩焼きも大好きですが、自宅で塩と酢でしめたサバも大好きです。

北海道のおいしい白身魚には、我が家の経験の範囲ではヒラメやマツカワ
カレイ(カレイですが刺身の味はしこしこしたヒラメ)やクロソイやハッカクな
どがいます。「ソイ」は北の魚らしい黒っぽい風貌をしていますが、身の色は
鯛と似ています。北海道のタイとよばれているようです。「ハッカク」は外見
はトビウオが恐ろしい鎧をまとった感じですが、体の断面が八角形をしてい
るので「ハッカク」だそうです。ヒラメは刺身か昆布しめ、ソイやハッカクは
刺身もいいのですが酢でしめると隠れたよさがでてくるようです。

最近、よくぞこんな商品を作ってくれたと感激しているものがあります。北陸
の会社が加工販売している、道南産の真昆布でつくった「すき昆布」。休日
のお昼などに、軽く水で戻してサラダとして他の仲のよさそうな野菜と一緒に
食べています。

この会社からは定期的に昆布を買っていますが、このすき昆布は新製品で
す。固定客に新製品を紹介するために試供品を提供することは、常套手段
ですが、食感といい、味といい、手ごろな大きさといい、すき加減といい、実に
よく検討された商品です。(同封されてきたのは、枚数の少ない本物の商品
でした。)二回食べて、我が家の常備食品に昇格させました。

いい真昆布を育てるためには、間引きをするそうです。樹木や竹と同じです。
真昆布は、サケやホタテとならんで、北海道の栽培漁業の中心です。その
ことも関係するのでしょうが、とくに若いときに間引きをしますから、間引き
された昆布は柔らかい。このすき昆布はその間引きされた昆布を利用して
いるとのことです。今までは間引きされた昆布はどういう用途に使われて
いたのか興味がわきますが、今は重要なことではありません。何かの用途
に長い間使われていたのでしょうが、それに飽き足らないセンスのいい社員
のどなたかが、あたらしいアプリケーション(利用用途)を提案し、それにふさ
わしい商品サイズやすき具合や枚数などのパッケージング要素を議論し試作
してこの商品ができあがったのでしょう。

我が家ではダシをとった後の羅臼昆布は、しっかりしていてもったいないので、
つくだ煮にしてごはんのおかずです。

ダシ、昆布しめ、おでん用の結び昆布、とろろ・おぼろ昆布、サラダ、つくだ煮。
我が家では昆布がずいぶんと活躍しています。

(May 2009)


おいしいジャガイモ

ジャガイモの味噌汁に、はまっています。たまにはめずらしい具の
味噌汁をためしてみたいと思い、配偶者に提案しました。味に驚愕。
この10日間、ほとんど毎晩、食べています。

さて、このジャガイモは北海道産のジャガイモではありません。鹿児
島のジャガイモです。念のために書きますが、サツマイモではありま
せん。鹿児島産の男爵系のジャガイモです。札幌で鹿児島のジャガ
イモを食べています。

うすくきれいな皮の有機のジャガイモで、とてもみずみずしい味です。
鹿児島のジャガイモは晩春の今が旬なのでしょう。旬の凄みが伝わ
ってきます。

この時期の北海道のジャガイモは、時期はずれなので、味を楽しむ
には無理があります。北海道生まれの方も、想定外の地域の競合
品を味わってみたらいかがでしょう。

(May 2009)


ホコリ(埃)

誇りではなく、埃(ホコリ)の話からです。

できてまもない複合商業施設を利用した際に、配偶者も僕もそこの
洗面所に立ち寄りました。隅のホコリがとても目についたというのが
配偶者の感想、洗面台がひどく水浸しだなというのが僕の感想。混雑
する時期なのでしかたないような気もしますが、隅のホコリは混雑とは
関係がないというのが配偶者の意見です。

食材や衣類や花や花の苗や家庭雑貨や電気製品や本などを買うた
めに、各地のデパートやスーパーマーケットやホームセンターや専門
店や書店やその他のお店を今まで利用してきましたが、配偶者の意
見と僕の感想を、配偶者の意見の重みが60%、僕の感想の重みが
40%くらいで平均すると、おおざっぱにいって、お店の定常的な繁盛
振りとそのお店の洗面所や手洗いのきれいさ(掃除がよくいきとどい
ている、という意味です)とは相関しているようです。もちろん、正の相
関です。

混雑する日や人でごった返す時間帯に、洗面所や手洗いをきれいに
維持するのは大変な作業だと思いますが、日本で一番混雑していて
日本で一番利益率の高いと思われる某デパートの某店の洗面所は
いつも清潔です。

札幌に話をかぎってみても、斜めに直線をひいたような関係には決し
てなりませんが、楕円でくくれるような相関関係が、売上の伸びと洗面
所の清潔さと、それから、売り場やフロアで対応してくれる店員から伝
わってくるここちよい雰囲気との間に、見られるようです。ここちよい雰
囲気とは、店員の応対が親切でテキパキしていて、ただしゆったりする
ところではゆったりとし、客としてここちよいのです。

4つの視点でバランスよく企業の状況を判断したらどうなるかという考
え方があります。顧客の視点、財務の視点、内部管理の視点、人材育
成の視点の4つの視点で、企業の方向を検討したり、課題を見つけた
り、対応策を検討したりします。論理的な必然性はないのですが、戦略
面や財務面に課題のある企業は、同時に管理面(今回は洗面所や手
洗いの清潔さ)や教育面(今回は店員の応対のここちよさ)でも課題を
抱えていることが多いのかもしれません。

(May 2009)


それだけに会いに行く

それだけに会いに、美術館に行くことがあります。常設展示に特徴
のある美術館とは、そもそもそういう目的の空間かもしれません。

尾形光琳の「紅白梅図屏風」は熱海のMOA美術館所蔵で、毎年、
梅の季節(2月)に公開されます。7-8年前に東京駅から新幹線
に乗って会いに行きました。熱海駅から往きはタクシー、帰りはバス
です。

光琳の「燕子花(かきつばた)図屏風」に会いに、東京(南青山)の
根津美術館に数年前の秋に出かけました。たしか、この屏風の修
復修理が完了した直後に、日数限定で公開されたときだったと思い
ます。地下鉄を利用し、駅から歩きます。根津美術館は大きな改築
のため、しばらく閉館していましたが、今秋から開館とのことです。

佐伯祐三展が札幌で開催されています。「ガス灯と広告」は東京国
立近代美術館の所蔵なので、ふらりとそこに出かけたら高い確率で
それに出会えますが、同時に複数の作品となると今回のような催し
物が必要です。もう一度、「ガス灯と広告」や「郵便配達夫」などに
出会いに北海道立近代美術館に歩いて出かけます。前回、佐伯
祐三の両方の作品と一緒に出会ったのは東京都練馬区の美術館
でしたが、私鉄電車に乗り、降りたのは初めての駅でした。軽い雨
が降っていました。

(May 2009)


ふんわりといい香り

土曜の夕方の散歩です。配偶者と二人です。お花見です。

札幌の桜は開花から満開まであっという間なので、機会をのがすと
葉桜しか残りません。

桜色のかたまりをさがしながら1時間30分ほど歩きます。実際は
濃い目の桜色、あわい桜色、白などです。満開のものと、緑の葉が
花と同居しはじめているものと、葉桜に近いものと、まだつぼみの
ものをそれぞれ楽しめます。ソメイヨシノ系と八重系がありますが、
札幌では八重系が目につきます。こうやって歩いてみると、こんな
ところにも桜の樹があったのかと、日本の桜の多さに驚きます。
どなたかがかつて植えられたのですね。

まだ満開に近い花に緑の葉が重なるように出かかっているのを見る
と、まるで桜餅です。桜餅が枝からいっぱいぶら下がっています。

ある大きな公共施設の庭に入りました。桜色のかたまりがそれなりに
目立ちます。最初のはソメイヨシノです。そのむこうにエゾ桜があります。
そこまで近寄ると、ふんわりといい香りがそのとなりのあたりから漂って
きます。桜の匂いではありません。

枝振りを見ると、光琳の紅白梅図屏風です。屏風ほど立派な枝ぶり
では決してありませんが、若い紅梅がもう少し年をとった感じの枝の
ふんいきです。梅が正面ではない入り口の左右に数本配置されて
いました。桜も満開、梅もすこし八重系の桜色で満開です。軽く酔う
ようないい香りです。

(May 2009)


自転車は「車」

札幌と名古屋の共通点のひとつは、歩道を走る自転車のオーボーな
ことです。東京の自転車の方がはるかにおとなしい。

フラフラとやってくるおばさん自転車や、視線の定まらない危なそうな
オニーサンやオネーサンが運転する自転車には近寄らないように用心
しますが、ボーソー自転車は避けようがない。ヒヤッとした経験がいっぱ
いあります。手に、もぐらたたきゲーム用のツチでもあれば、その場で
キュッという音をたててひっぱたいてやりたくなります。

で、交通規則上、自転車とは何かをちょっと調べてみました。

『道路交通法上、自転車は軽車両と位置付けられ、歩道と車道の区別
があるところでは車道を通行するのが原則であり、車道の左側(車両通
行帯のない道路では左側端)を通行しなければならない。』

『自転車安全利用五則 (平成19年7月10日、警察庁交通局 、交通対
策本部)

1 自転車は、車道が原則、歩道は例外

2 車道は左側を通行

3 歩道は歩行者優先で、車道寄りを徐行

4 安全ルールを守る
○飲酒運転・二人乗り・並進の禁止
○夜間はライトを点灯
○交差点での信号遵守と一時停止・安全確認

5 子どもはヘルメットを着用』

しかし、平成20年6月1日より道路交通法及び同施行令の一部が改正
され施行されました。趣旨は子供や老齢者保護ですが、その他の留保
条件も加わり、その結果、でき上がったものは、ねじ曲げとかは交えず
に普通に解釈しても、

「自転車は車道でも歩道でもお好きなところをどうぞ」

と、なっているようです。あらあら、ふーん、という感じでハシゴをはずさ
れた気分です。

札幌も名古屋も広い道路が整備されており自動車にはとても便利な都
市です。そんな車道を自転車で走るのは恐怖です。従って、歩道を走る
ことになるのでしょうが、歩道をボーソーするだけでは退屈でしょうから、
車道を軽車両の制限速度いっぱいかそれを適度に越えたあたりで、ト
ラックと張り合うくらいの勇気を発揮してほしいものです。

(Apr 2009)


ある種の抽象化

ご自身のブログの中で、船井幸雄氏が『・・・アメリカでは今年3月から粉飾
決算が解禁になりました。』と書いておられました。現在進行中の事態をわ
かりやすく凝縮した表現なので、気に入っています。

別の方向を向いた意図を上品な匂いのするベールで覆い隠す作業の例が
結構見られます。多くの観客を相手のある種の抽象化作業といえるかもし
れません。

時価会計をなし崩し的に押さえこむのを適切な経済支援政策と言いかえる
のはそのひとつの例です。核兵器のない世界をめざすという文言で始まり
ながら実際は、『私たちの敵や私たちが嫌いな国が核兵器を持つのは許さ
ないが、私たちが核に関して、絶対に他より有利な状況を常に維持しなが
ら、核兵器の保有量を相対的に減らしていくのは、あるいはそういう方向を
議論することはやぶさかではない』という趣旨の主張がその後にしっかりと
続く、最近ある国のトップから発せられたメッセージなどはもうひとつの例で
す。

粉飾決算が解禁になりましたとか、後半の主張が主文なので前半の美しい
書き出しは適当に読み飛ばしてくださいとかいう説明は普通は僕たちには
提示されないのでここちよく抽象化されたメッセージを、これはどういう意味
だと考えながら翻訳する、ないしは直観的に背後の意図を見抜く作業が必
要になります。

ここまではメッセージを受け取る側の立場で書いていますが、僕たちがメッ
セージを発する側にまわると、それがビジネス・メッセージやマーケティング
・メッセージであっても上の例と似たような「抽象化の傾向」を持つ可能性が
常にあります。気をつけたいと思います。

(Apr 2009)


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メスよりオスだな

広尾の方が、獲りたてを漁師から直接買い求めてご自身で塩漬け
日干ししたシシャモを、おすそ分けで偶然にいただきました。オスが
6尾、メスが6尾の12尾です。作りたての干しシシャモです。

(北海道は、函館に向かって伸びる渡島半島を除くと◇形ですが、◇形
の一番下のところが襟裳(えりも)岬です。広尾は襟裳岬の右上です。
シシャモの産地は、統計資料だと、漁獲高の多い順に、釧路、白糠、
広尾、鵡川(むかわ)です。)

早速焼いて食べましたが、油が適度に乗っており、今までで最も美味な
干しシシャモでした。僕と配偶者の好みは同じで、オスです。僕自身の
偏見で断言すると、収穫時期によるのかもしれませんが、この季節は
オスはメスよりも不等号が2つ重なるくらいおいしいです。魚そのものの
おいしさが直接に伝わってきます。冗長な表現を許していただければ、
オスのおいしさ >> メスのおいしさ、です。

冬の鵡川の子持シシャモも楽しみましたが、今回のオスの干しシシャモ
の方が僕たちの好みにはあっています。僕たちは千葉の背黒イワシの
目刺しが好物ですが、今回のオスの干しシシャモの味にはうーんと
うなってしまいました。今回のような味のシシャモにまた出会えるのは
いつでしょうか。

(Apr 2009)


春のおせち

黒千石(くろせんごく)という名前の小粒の黒大豆のいろいろな味わい方
をするために今回は、おせちの黒豆に挑戦です。今は四月なので、春の
おせちです。味付けのパートナーは、黒千石に失礼でないように、きちん
としたものをそろえます。徳島の和三盆(京の和菓子によく使われる控え
めな甘さの伝統的な砂糖)と伊豆大島の自然海塩と小豆島の醤油です。

黒千石の納豆は今まで2度ほど買い求め、何度かゆったりと味わいまし
た。納豆フリークの方には物足りないかもしれませんが、ネバネバ度と
引く糸の長さが控えめです。しかし、夜のおかずのひとつとしてはその方
が好ましいともいえる場合もあります。

我が家では、週末のお昼ご飯のメニューのひとつが納豆チャーハンや
納豆スパゲティーです。チャーハンは玄米や5分づきで、スパゲティーは
全粒粉が50%程度まじったものを使います。具材としての野菜は、チャ
ーハンの場合は、ピーマン、旬の時期にはセロリの葉っぱ、スパゲティー
の場合は、インゲンです。黒千石の納豆チャーハンや納豆スパゲティー
を作ってみましたが、全体の彩りの様子や食感は、どうも黒豆でない
白い小ぶりな大豆の方がまさっているようです。

次にためしたのが炊き込みご飯です。色は濃い赤飯風になりますが、
赤飯がアズキの女性的な色とやわらかい食味だとすれば、この黒大豆
の炊き込みご飯の色と味と食感は男性的です。無骨なところが感じられ
ますが、そこがよさになっているともいえます。残念ですが、我が家の
定番メニューになる可能性は低いと思います。

さて、春のおせちです。お正月のおせちで使う丹波の黒豆はしっとりと
した黒に仕上がりますが、今回の黒千石の仕上がりは紫色です。おせ
ちというよりは、(配偶者の炊き方にもよるのでしょうが)少し、こりこりと
したおやつ風の仕上がりです。皺はありません。

我が家では、干しブドウの入ったハルユタカと天然酵母の自家製パンを
よく作ります。そのうち、干しブドウの代わりに、黒千石を混ぜてみる予定
です。どんなパンができあがるのか楽しみです。

免疫バランスの維持や改善に関する黒千石の機能性テストが大学で
進行中だと聞いています。免疫のバランスが崩れると、一方ではアレル
ギー疾患にかかりやすくなり、逆に振れるとガンなどの自己内異物の監
視や排除が下手になるそうですが、現在の僕たちは食べ物や藥をその
一部とする全般的な生活環境の変化のせいか花粉症やアトピーなどの
アレルギー系疾患に以前よりかかりやすくなっているようです。それには、
僕たちの自己責任の部分が結構多いと思いますが、一連の機能性テスト
で免疫バランスの改善やアレルギー改善効果に関するいいエヴィデンス
がでるといいですね。

(註:下手なゴルファーはゴルフクラブでなく口でゴルフをしますが、その
表現を借用すると、僕のは口でやる料理です。実際に作るのは配偶者
です。)

(Apr 2009)


『札幌学』

「札幌学」と題された文庫本が書店の入り口付近で平積みになっていたので
興味をそそられて手に取りました。書き下ろしの文庫本のようです。著者は、
男性で僕とほぼ同年代の名古屋出身の方です。パラパラと眼を通したところ、
面白そうなので購入しました。札幌や北海道出身の方が書いた「札幌学」だ
と買わなかったと思います。

最初のページから順番に読んでいく種類のものではなく、書き下ろしですが
週刊誌の連載をまとめた感じのつくりなので、目次やランダムに開けたページ
の文章の誘引力に従って読んでいきます。気がつけば、主要な部分を読み
終わっていることでしょう。

4-6ページ単位の文章でかかれた「札幌辞書」です。著者が詳しい名古屋
や東京や福岡などの都市や街の匂いや歴史との対比が背景にあるので、
札幌や北海道と地縁・血縁のない僕には結構参考になる部分があります。
この本の基調は札幌という土地や街や文化や食べ物や催事などのよさを
ほめること、いい部分をわかりやすく開示して見せることですが、いい雰囲気
が出ていると思います。

気に入った文庫本を並べてある書棚に置いて、ときどき、辞書代わりにパラ
パラするつもりです。

(Apr 2009)


真冬のパンジー、その後

札幌中心部の大通り公園では、春の花を植えつけるための準備
作業が進んでいます。徐々に若い黄緑が公園や植物園や街路の
木々を飾りはじめます。

冬の間、簡易ビニールハウスで頑張っていた8つのパンジー
(青紫、紫、赤紫、青、白、オレンジ色、レモン色、黄色)のうち、
現在、外気の下でいっぱい花を咲かせているのは、紫と白だけ
です。とても寒い時期に部屋の中に持ち込んだときにモヤシ状態
になった2つが元気を失ってしまいました。3月の下旬に配偶者と
いっしょに3日ほど家を空けましたが、その時、結構暖かかったの
で、簡易ビニールハウスのなかが初夏状態になり、アブラムシが
発生して、残った6つのうち4つが哀れな状態になり、かわいそう
だったのですが処分しました。

四月上旬の札幌には花の彩がまったくないので、毎朝、我が家の
紫と白のパンジーを目にするとホッとします。

(Apr 2009)


「塩」と「マーケティング?」

配偶者と夕方の散歩をしようということになり、数日前にテイサツに出かけた
できてまもない複合商業施設をその日のコースの一部に組み入れました。
そこのスーパーマーケットで「黒千石」(岩手や北海道で最近復活した小粒の
黒大豆)の納豆を3-4セットついでに買うつもりです。

前回は若い女性の店員しかいなかった漬物専門店には今回は中年のベテラン
らしい店員が二人いたので、前回買わなかった無添加のタクアンの塩について
聞いてみて、いい塩を使っていたら買ってもいいなという気持ちです。残念な
ことに、そのタクアンは売り切れでした。どんな塩を使っているのかと尋ねると、
けげんそうな、あるいは少し疑わしそうな表情が浮かびましたが、「・・・・・」
(塩の商品名)と答えてくれました。

こういうときは同じフロアにスーパーマーケットがあるのはとても便利です。
塩のコーナーに早足で歩いていき、その商品を塩コーナーの比較的下の方
の棚で見つけました。大袋入り、小袋入り、焼いたものの3種類が並んでいま
した。袋のひとつを手に取り、表と裏の記載内容を見ます。「瀬戸内海の海水
のみを使用して作られた国産100%のにがり塩」と書いてあります。ミネラル
分もとても多いようです。あの漬物屋はいい塩を使っているのかなというのが、
その瞬間の感想です。

しかし、見ているうちに、いくつか疑問がわいてきました。

最初の疑問は、値段が安すぎるということです。一般的に自然海塩と呼ばれ
ている伝統的な作り方(すごく手間ひまのかかる手作業的な作り方と、工場制
手工業的な作り方の2種類があるようですが)の塩と比べると価格は5分の1
から10分の1です。何かおかしい。

次の疑問は、ミネラルが豊富なのはいいとして、カリウムがとても多い(多すぎ
るくらい多い)ということです。瀬戸内の海水には、あるいは日本の海水には
これほどカリウムが多かったかなという戸惑いです。なにか人為的な匂いが
しました。

3番目の疑問は塩の製法。「膜」となっています。膜(イオン交換膜)製法と
いういわば近代プラント工場製法だと、マグネシウムやカルシウムやカリウム
などの「にがり」と呼ばれるミネラルなどはフィルタリングされてしまい純度の
高いNaCl(塩化ナトリウム)だけが残るそうなのですが(例は旧「専売公社」の
食塩)、ではこれらのミネラルはどこからやって来たのか。

塩の正確で広範な情報はなかなか入手が困難です。伝統的な製法で塩を
作っている方々が書かれた・まとめられた客観的と思われる比較情報が参考
になります。

どうも「・・・・・」は、あとでミネラルを添加したもののようです。カリウムは酸味
のもとなので、とても多いカリウムは浅い漬物なんかにはすばやく貢献するの
でしょう。

このような塩商品があってもいいですし、そういう塩商品だと宣言すればいい
のですが、商品パッケージやホームページのマーケティング・メッセージは、
自然海塩の製造者や自然海塩商品のことを考えると、どうもフェアではない
ように思われます。

(Apr 2009)


心配ありません

いつもお世話になっている酒屋のご主人。「今度、近所に複合商業施設とかが
できるのさ。高級スーパーや専門店やスポーツクラブが入るので、人の流れが
向こうへ行ってしまうのではないかと心配だよ。」という1ヶ月前くらいの話。
我が家の郵便受けにもその案内パンフレットが入っていたのが2~3週間ほど前。
平日の夕方を選んで配偶者とテイサツに行ってみました。

地下鉄の駅から直結で、地下階が刃物なども含んだ日用用品、1階が食べ物
(スーパーと専門店)、2階が衣類や女性向け便利用品、3階がレストランや趣
味や美容関連、4~5階がスポーツクラブ。

近所の主婦や働く女性が高級スーパー的な感覚で食べ物中心にちょくちょく買
い物をしたり、休日に子供をつれて趣味の買い物をするにはとても便利な施設
かもしれません。スニーカーで行ける趣味のいい日常品という路線でしょうか。
ただし、近所に住んでいたとしても、僕たちは、食材の限られた一部を買うくらい
で、それ以外の出費はしないと思います。

全体としてその地区はにぎやかになりそうです。そして、酒屋のご主人の店の
商いに影響はないと思います。今度会ったら、そう伝えましょう。

一番の収穫は、納豆。どこで売っているんだろうとここしばらくずっと気になって
いた「黒千石」という名前の黒大豆の納豆がそのスーパーの商品棚のエンドと
呼ばれるプロモーションコーナーにひっそりと並んでいました。ついでに、北海道
小麦100%のゆでうどんも購入。

1階の食べ物専門店が入っているエリアの一角に小さな漬物専門店があり、
そこで売っていた三浦大根や練馬大根のような白首大根のタクアンが目に
とまりました。「無添加」という控えめな手書きPOPが添えられており、一瞬
こころが動きましたが、どんな塩を使っているのかわからないし、若い女性店員
に聞いてもおそらく僕が期待するたぐいの説明はないだろうなと勝手に判断して、
購入にはいたりませんでした。

(Apr 2009)


春鰊(春ニシン)

ニシンそばの身欠きニシン以外は食わず嫌いだったので、こう
いうことではイカンと昨年の秋・冬から今年の初めにかけてニシン
を買ってきては塩焼きで食べましたが、ニシン好きの方には申し
訳ないですが、ちょっとうんざりという味と食感でした。多くの方々
がおいしいとおっしゃっているのですから、僕たち(配偶者と僕)の
舌がニシンに関しては結構ひどい状態かもしれないと思っていまし
た。一週間ほど前に個人的な機会でお会いした、お父様が小樽
出身の方からも北海道の春ニシンはびっくりするくらいおいしいと
伺いましたので、春ニシンを楽しみにしていました。

今日、北紋別のお知り合いから届いたという春ニシンを、ご近所
からおすそ分けでいただきました。オスとメスを一尾ずつです。

(北海道の地理に不案内な方への註:北海道の地形はすごく大ま
かには◇(菱)型ですが、北紋別は、◇の右上斜線上のまん中
あたりの位置です。)

早速、塩焼きです。

うーん。正直な感想は、中華麺にたとえたら、腰のない水っぽい
麺、という感じでしょうか。味がブクブクしています。数の子だけは
しっかりとした味でしたが・・・。

キンキやメヌケは別格としても、北海道のイワシもサンマも、海峡
を隔てた青森のサバも、函館のイカもとてもおいしいのに、ニシン
とは僕たちは味と食感の相性が悪いのかもしれません。f(^^;)。

(Mar 2009)


「・・・などと」

マスメディアのニュース番組でアナウンサーが読み上げるニュース(の説
明)でずっと気になっている表現があります。それは「・・・が・・・などと発言
しているとのことです。」「・・・が・・・などと供述しているとのことです。」。

引っかかるのは、「・・・などと」の部分。その人がいくつかの種類の発言や
意見陳述をしている場合はすべてをそのニュース(説明)で取り上げること
は出来ないので、視聴者への紹介は主要なものだけに限定して、だから
「・・・などと」という表現になるのでしょうが、僕にはなにかしら悪意が感じら
れます。「いろいろおっしゃっているようだが、ちょっと信用できませんね、し
かし、発言を無視するのはなんですから一応一部は取り上げますが・・」、
というニュアンスの悪意、ないしは冷たさです。

「・・・などと」表現は、容疑者や被疑者や報道機関がそういうふうにみなし
たいと考えている対象者が何かを発言した場合に使われることが多いよう
です。従って、たとえば、何かのスポーツで優勝した選手のコメントや、ポ
ジティブだと一般的に考えられている話題(たとえば、桜が咲いた)に関する
関係者の発言は必要部分が直接的に引用される様子で、「・・・などと」
表現が使われる頻度はとても低いと思われます。

ある政党代表に関するニュースを見ながらそう感じました。

(Mar 2009)


世界の見え方

『宇宙に果てはあるのか?宇宙は一体どんな形なのか?人類が長年、
問い続けてきた謎に大きく迫るヒントが去年(2006年)に見つかった。
百年もの間、誰も解けなかった数学の難問「ポアンカレ予想」が証明
され、宇宙がとりうる複数の形が初めて明らかになったのだ。世紀の
難問を解いたのはロシアの数学者グリゴリ・ペレリマン(41)。その功
績により、数学界最高の栄誉とされるフィールズ賞の受賞が決まった
が、彼は受賞を拒否し、数学の表舞台から消え去ってしまった。』
(NHKオンライン 2007年10月22日)

上の一節はNHKスペシャル『100年の難問はなぜ解けたのか~
天才数学者 失踪の謎~』のホームページから引用したものです。
一昨晩、その再放送を見ることができました。

番組を見ながら考え続けていたことは、ペレリマンのような人には、
世界がどう見えているのだろうかということです。世界は現実的であり、
同時に抽象的であり、同時に形而上学的だと僕は考えており、その
世界という名前を持った現実的であり抽象的であり形而上学的なものを
私たちはどう見ているのか、その見方を僕は僕のため方便として簡単に
図式化していますが、その図式にあてはめたらペレルマンのような人の
世界の見方はどこにどう位置するのだろうかということです。

いわゆる現実の世界があります。そこでは、壁に頭をぶつけると痛いと
いったことがらや、花がそこに存在しているのが見えるといったことが
らが共有されていますが、そういう共通部分・共有部分を除いてしまい、
残った現実の世界と称されるものを荒っぽく2つに分けると、ひとつは
「たいていの人たちがそうだと納得している表層の現実の世界」、もう
ひとつは「その、たいていの人たちが納得している現実の世界を、その
人たちが気づかない形で、グローバルにとても強い経済的・政治的権力
を持ったごく一握りの人たちがじわりと編み上げている世界」となるよ
うです。

最近のわかりやすい例だと、「ある機構の民営化に象徴される構造改革
とそれにともなう国家経済の効率化」がたいていの人たちがそうだと納
得した表層の現実の世界、「ある国から特定の他の国への公的で構造
的な資金移動」がもうひとつの潜んだ現実の世界、ということになります。

そう思い込まされている世界、そうだと納得させられている世界という
のは、ある意味ではそういう仕掛けをする人たちによって都合よく抽象
化された世界です。そのあたりの仕掛けや構造がどう作られていくのか
については、副島隆彦氏や鬼塚英昭氏や藤永茂氏などの時宜を得た
著作や長い時間をかけられた労作やあるいはインターネット上でのエッ
セイや論述がとても参考になります。

上で二つに分けた僕たちにおなじみの現実の世界とは別の現実の世界
が存在します。普通に生活していく分には、おなじみの現実の世界だけ
でとくに不都合はないのですが、そのような世界の捉え方では満足でき
ない人たちがいます。その奥やその根底を見たいと思う人たちです。
たとえば、老子や荘子や空海や青原惟信(せいげんいしん:中国・宋時
代の臨済宗の禅師)やその他の老荘や華厳や密教や禅の分野の人たち
です。

僕たちにおなじみの世界は、色即是空の「色」の世界です。別の用語を
使えば、「事」の世界、同じことですが同時に「理」の世界です。狭く
は、物質の世界、対象を広くすれば、物質の世界と概念の世界、つまり、
言葉で限定され区分され文節化された世界です。

老子や荘子や空海や青原惟信は、色即是空であり空即是色である
世界、「理事無礙・事事無礙」の世界(理と事の間にも事と事の間にも
何のさまたげもない世界)、分節と混沌が同時に存在する世界を見てい
たようです。分節と混沌が同時に存在する世界とは、花が(僕たちが
見るように普通にそこに)存在し、それと同時に、存在が花(という形や
名前をもってその場に顕在化)する・している世界です。

青原惟信の有名な言葉を、その一部をはしょって訳してみると、原文
の緊張感には甚だ欠けますが、以下のようになります。

「私が三十年前の修行もしていなかった頃は、山を見るとそれは山、
水を見るとそれは水でした。後に先生のもとで修行が進みすこし悟り
を感じたときは、山を見ると(もはや)山ではなく、水を見ると
(もはや)水ではないという境地になりました。しかし、もっと悟り
が深まった今は、やはり、山はただ山、水はただ水という境地です。」

最初の修行前は「色」だけの世界。次が修練を重ねて到達した「色即
是色」の世界、山がもはや一般に山という名称で区分され分節された
山には見えないという世界。その後が、「空即是色」と「色即是空」
が一緒になった世界。つまり、山はやはり山だと、全体を了解する
世界。

さて、ペレリマンです。番組の映像にもありましたが、失踪というよ
り、人との接触を頑強に拒んだ引きこもり状態にあるようです。僕の
想像は以下のような形をとります。

今、彼は、色即是空の「空」の世界に住んでいるのでしょう。惟信の
状況にたとえたら、山は(私たちが言葉でそう定義する)山では(も
はや)なく、水は(私たちが言葉でそう定義する)水では(もはや)
ない、という境地なのでしょう。この境地は、言語による存在の分断
や文節化を乗り越えた超越の世界ですが、同時にそこで長い間
漂っているとニヒリズムに陥ってしまう危険のある世界でもあります。
しかし、彼はそのうち、空即是色の逆の流れに乗って戻ってきて、混沌
と分節の両方の視点を手に入れるような気がします。そのとき、別の
難問を解いているのか、他の活動をしているのかはわかりませんが、
引きこもりの状態には別れを告げていることでしょう。

(Mar 2009)


意見と刺激

健康や病気や食べ物に関するさまざまな本が出版されています。
気になったもののいくつかには眼を通しますが、決して熱心な読者
ではありません。読んだあと、今後の再読や参照のために本棚の所
定の位置にきちんと戻す書物は多くはありません。健康という視点
だけから健康やそのための手段(そのひとつが食べ物ですが)につ
いて述べた本は、知識の断片や情報をもらってしまえば、その役割
はそこでおしまいです。

死という視点を持った健康や食べ物についての意見、死に向かって
どういうふうに健康を保持するかという視点を持って健康や食べ物
を語る本がまれにあり、そこには傾聴に値する理念や考えが含まれ
ています。どういうふうに健康なまま、つまり病気の状態でなく、
死に入って行けるかという自然な死の捉え方が著者の個性を反映し
た形でそこにはあり、そしてそれは同時に哲学的・形而上学的な死
の捉え方にもなっているので心に響いてくるのだろうと僕は思って
います。

あるシンポジウムで機能性食品を研究開発している方の講演を聴く
機会がありました。食品が、今後どんな役割を担っていくかに言及
した部分のキーワードのひとつが「食品による代替医療」で、
その表現が二つの違った意味で心に残りました。二つの違った
意味とは、そのひとつは今後の食べ物に関するニーズが簡潔に要約
された表現なので「なるほど」という意味、もう一つはそれほど遠
慮されなくてもいいのではないのかという意味です。

代替医療とは公式的には補完代替医療 (Complementary and
Alternative Medicine) と呼ばれており、西洋医学以外の各地域の
伝統医学(伝統的な中国医術や漢方など)や食にかかわる療法やそ
の他の療法・治療法があるそうですが、そういう捉え方をした場合
に中心になるのは医療です。医療の機能の一部を補完するものとし
ての食べ物というニュアンスになります。

現在主流の医療は通常は病気という状態への緊急対応・部分対処の
方法であり、食べ物を食べるということはそういう状態に陥らない
ための基本活動です。だから、「食品による代替医療」ではなく
「食品による医療排除、ないしはもっとおだやかに、食品による
無医療」の方が、より適切なのでないかと、その時、感じました。
これは言葉遊びの問題ではないと思っていますが、食べ物というも
のの意味をどこまで広げて考えるか、その道のプロとアマチュアの
厳密さに対する姿勢の違いかもしれません。いずれにせよ、いい刺
激でした。

(Mar 2009)


再び、わがままな消費者

苦境に立っているデパートがあります。札幌市やその他の北海道の
主要都市に店舗をかまえているデパートです。札幌本店以外の店舗の
閉鎖が議論されるなか、近隣の消費者や関係者はその存続を望んで
いるようですが、僕には消費者や関係者のわがままと映ります。その
理由はあとで述べます。

おおざっぱな観察と体験からはじめます。観察は外野からの観察なので
間違えているかもしれませんが、同時に小額顧客としての日常の観察で
もあるのでミクロの視点はそれほど的外れではないと思います。

札幌の経済力や家計あたりの消費金額は東京のそれよりも相当に低い
です。政府の統計数字に出てくる以上の差がある感じです。その中に
あるデパートが東京ないしその近郊でも消費意欲の最も高い「飛んでい
る旬な」人たちをターゲットにしている新宿のデパートの戦略の一部を
取り入れてもなかなかうまくいかないのではないかと思います。
「飛んでいて旬な」消費者が顧客候補として札幌にもおおぜいいると
いう想定なのでしょうか。

これは余分な話題ですが、その新宿のデパートが得意にしている衣服
の主流に関していえば、僕や僕の配偶者はターゲットの外側に押しやら
れています。つまりそのデパートの衣服の品揃えが発するメッセージは、
僕たちのようなタイプの「飛んでいない、旬でない」消費者には興味は
ないということです。これはこれですっきりとした市場へのメッセージ
です。

さて、食べるものに関してです。僕の配偶者と僕が、普段一緒に、高い
頻度で買うのは、なんといっても食べるもの(食材やその他の口に入る
もの、例えば、お茶やお茶菓子など)です。

我が家の、とくに食べるものの購入に関するライフスタイルというか
好みは、以下のように集約されます。

 「対面販売が好き」
 「有機野菜や有機玄米や近隣の魚などの健康な食材が好き」
 「郊外型のスーパーマーケットを軸にしたショッピングセンター
  には欲しいものがないので行かない」
 「一ヶ所ではそろわないので、歩ける範囲なら、二ヶ所のハシゴ
  をすることも多い」
 「たいてい二人で一緒に選ぶ」
 
対面販売の場合、買う側からいえば対面購入の場合、当然、買い手と
売り手のコミュニケーションが発生します。言葉や態度やその場の雰囲
気まで含んだコミュニケーションです。

札幌駅前で連続して売上を伸ばしているデパートがあります。ありて
いに言ってしまえば、駅前のデパートは、それが食材売り場であれ、
家庭用品売り場であれ、その他の売り場であれ、従業員のかもしだす
雰囲気がいいのです。楽しいのです。一方、苦境に立たされているデ
パートでは、逆で、雰囲気がよくないし、もっと率直に言えば、腹が立つ
ことも多い。従業員の基礎トレーニングが出来ていないと思える場合も
多いし、ブスッとしていて「すこいくらいニコッとしたら」といってやりた
くなることも多いのです。これは配偶者と僕の共通した感想です。売り
場は大胆に改良されましたが、顧客としての苛立ちはそれ以前と全く
変わりません。食材の品揃えに関していえば、両者ともそれぞれの
特徴を持っていますのでとくには差はありません。

後者のデパートにはとてもにぎわっている食材や加工食品のコーナー
もあり、いいものがひとつの主張に沿って選択されて並べられています。
目利きの仕入れ担当の方が頑張ったのでしょう。しかし支払い時の雰
囲気が楽しくありません。前者のデパートの従業員と交替してもらったら、
売上が突然50%アップするのではないかと想像したりもします。経営
陣はこのことをご存知なのでしょうか。

最初の、「わがままな消費者」に戻ります。苦境に立たされて、店じま
いかという段階で、店じまい反対というのは虫が良すぎます。そこが
必要なら、そこで買えばいい、買って応援すればいいのです。

消費者が買わないということは、デパートの戦略が消費者からずれた
せいで、欲しくないものが売り場に並んでいるかもしれませんが、消費
者は総体としてそのデパートを放棄したわけです。その決断の結果は
自分で引き受けたらいいと思います。そのデパートが必要なら、欲しく
ないものは買わなくていいけれど、欲しいものは、別の場所でなくそこ
で集中して今までも買えばよかったし、今後も継続して買えばいいの
です。それでもダメならしかたありません。

遅めの夜のテレビ番組に「プロフェッショナル」というのがあります。
たしか2-3ヶ月前の放送分です。築地のマグロの仲買人がゲスト
でした。記憶に残ったシーンがひとつあります。極上と判断した天然
マグロが他のマグロと一緒に並んでいます。しかし、産地は大間や戸井
ではありません。無名の漁港で水揚げされたものです。他の仲買人は、
従って手を出しません。その人は簡単に競り落としました。ただし、
大間や戸井の良質なマグロと同じ値段をつけて、です。何故か。
「生産者の応援」がその理由です。

食料自給率の上昇が大きな課題になっています。実質的に有効なミク
ロの方策は、私たちの日々の食材や加工食品の購入や消費を通して、
近隣の、ないしはその他の日本の地域の安心な生産者や良質な生産者
を静かに応援することです。その食材や加工食品が安心で良質な分だけ
消費者にとっては追加支出になるかもしれませんが・・・。

(Mar 2009)


ピンクの玄関

予想以上に雪の日が多かったので、週末などに配偶者と食材の買出
しに出かけたついでに、先々週は蕾のいっぱいついた桜の枝を、先週
はネコヤナギを、そして今週は蕾がたくさんついた桃の枝を買ってきま
した。花は透明なガラスの花瓶に活けられて玄関と洗面所にそれぞれ
配置されますが、残った部分は底の重いガラスのぐい呑みに小さく
アレンジされて僕の仕事机の上にもやってきます。

桜は出身地が鹿児島と書いてありましたが、桃はどこから来たので
しょうか。桜の花びらは控えめなピンク、つまり桜色、桃は濃い目の
ピンク、つまり桃色。ネコヤナギの灰色にもピンク系の花をからませ
たので、この3週間は我が家の玄関はピンクの春でした。

この季節の日差しは、人をとても幸せな気分にします。人間の細胞の
一部にはこの時期の日の光を喜ぶような機能がビルトインされている
のでしょうか。そんな感覚です。

バッハの無伴奏チェロ組曲をある演奏者のCDで楽しむことが多いの
ですが、次の日曜日は時間と気分に結構余裕ができるので、三人の
違った奏者の組曲演奏を、奏者の生年月日の順に楽しんでみようと
思っています(三人の中のお一人は故人ですが・・・)。

(Feb 2009)


銀の滴(しずく)降る降るまわりに

明治の始まるほんの少し前に生まれて昭和16年に75年の生涯を
閉じた「南方熊楠(みなかたくまぐす)」という和歌山出身の博物学者が
います。「南方」が姓で「熊楠」が名です。僕には、博物学者・生物学者・
民俗学者というより哲学者としての色彩が強いと思われます。

僕は「熊楠」という、ちょっとびっくりするような彼の名前が好きで、なぜ
なら森の中の「楠」という植物的な力と「熊」という動物的な力の二つを
あわせもっているからです。力とは、森の生命力であり森の霊力です。
調べてみると、彼の生まれた地域では、「楠」という神聖な樹木を名前の
一部とすることはごくあたりまえのことだったようです。

名前ということだと、「空海」以上の壮大な名前を僕は知りません。空と
海。すなわち、世界です。沙門空海。四国の山野を跋扈(ばっこ)し、太
平洋の波や空と対峙していた若い私度僧のころの汗と苛立ちと思索と
瞑想の深まりがその名前から連想できます。

少し前に、「アイヌ神謡集」(知里幸恵編訳)と、そこに最初に収められて
いる神謡「梟(ふくろう)の神の自ら歌った謡」を絵本にしたものを買い求
めました。「梟の神の自ら歌った謡」は「銀の滴降る降るまわりに、金の
滴降る降るまわりに」という美しいリフレーンで始まります。

物語の内容だけでなく、「熊楠」の熊と楠ではありませんが、どんな種類
の動物の神様や植物の神様やその他の神様が登場してくるのかという
ことにも興味がありました。「アイヌ神謡集」には、梟(ふくろう)、狐、うさぎ、
狼、蛙、かわうそ、沼貝、それから、谷地の魔神と海の神、そして、どうい
う言葉で形容したらいいのかわかりませんが「オキキリムイ」という自らも
謡を歌い、他の神の歌う謡にも登場する「人間の勇者」的な存在が出てき
ます。

僕は、梟(ふくろう)のファンなので梟の神様の歌う2編の物語から読み
はじめましたが、梟以外の神様の歌う物語の中に、海の漁や鯨の出て
くる海辺の光景の多いことに驚きました。神謡は森と海がいっしょになっ
た世界なのかもしれません。

(Feb 2009)


玄米・三分搗き(づき)・白米

5年ほど前から五分づきや三分づきを食べ始め、3年前からは玄米中心
に切り替えましたが、ときどきは三分づきや五分づきも食べます。玄米食
は準備に多少時間がかかるので、時間か気持ちに余裕のある配偶者と
いっしょに暮らしている方か、水に浸すタイミングと炊き上げのタイミングの
時間差を要領よく炊飯器でセットできるテキパキした独身の方以外は、
日常生活ではあまり縁がないかもしれません。

先日、ある売り場で「ふっくりんこ」(北海道の南の地域で開発され平成
15年にデビューした現在売り出し中の北海道のニューフェイス米)がバラ
売りされていたので、1kgだけ買い求めました。数ヶ月前から一度食べた
いと思っていたお米です。有機栽培ではなかったので、自宅の精米機で
三分づきにして食べました。

玄米、三分づき、五分づき、七分づき、白米という違いが色や食感をどう
変えるかを以前にためしたことがあります。

大きな差は玄米と三分づきの間にあり、それ以外の差は小さいようです。
大雑把な表現ですが、玄米は薄茶色(ないしは少し濃い目のベージュ)、
三分づきはそれに比べると実に白い。それ以上ついたものは当然真っ白。
吟醸や大吟醸とかになると、いったいどういう色合いの白さになるのでしょ
う。透き通ったような白さでしょうか。玄米の味と食感に慣れ親しむと、
三分づきや五分づきは白米に近いという意味で同じようなものに思われ
ます。

最もいい外側の部分を捨ててしまった「ふっくりんこ」に申し訳がないので
次回は、玄米のまま食べようと思っています。

(Feb 2009)


存在が花する

ときどき近くの低い山を見ます。この季節なら、山肌がそれほど厚くはない
雪で被われている山です。ときどき木を見ます。葉を落とした枝に雪を残し
た木です。そのように、花や近くの山々の峰の連なりや緑の葉の繁るさま
や枯れた枝を見ます。

存在が横たわる山や葉を落とした木や濃い緑に繁った葉や咲いた花や
浮かんだ雲となって顕れます。

言葉はすべてを分節化します。未分化状態の混沌から、なにかをあるもの
として切り取るのが分節化・言語化ですから、切り取られてそう名づけられ
たもの以外のものは、「そう名づけられたものにあらざるもの」、ということに
なります。つまり、事物の二元化です。二元化は価値の二元化を呼び寄せ
ます。ある切り取られたものが善なら、それ以外は悪ということになります。
あるものが美なら、その外側は醜ということになります。

そうした文節作用の横溢する日常に違和感を覚えると、未文節のぼんやり
した混沌をイメージし、そこから事物が分節してくるさまをイメージします。

以下は、最近のある演説の一節をそのまま引用したものですが、引用部分
以外の全体の文脈に照らしても、言葉による分節が善悪という二元論に
直接につながる典型的な例のようです。こういう一節に接すると僕のなか
に素朴な違和感が生まれます。

We will not apologize for our way of life, nor will we waver in its
defence, and for those who seek to advance their aims by inducing
terror and slaughtering innocents, we say to you now that our spirit
is stronger and cannot be broken; you cannot outlast us, and we will
defeat you.

我々は、我々の生き方について謝らないし、それを守ることを躊躇
(ちゅうちょ)しない。テロを引き起こし、罪のない人を殺すことで目的の
推進を図る人々よ、我々は言う。我々の精神は今、より強固であり、
壊すことはできないと。あなたたちは、我々より長く生きることはできない。
我々は、あなたたちを打ち破るだろう。(訳:YOMIURI ONLINE)

ここに出てくる「あなたたち」は、この演説者の言葉をそっくりそのまま
この演説者に、同じ重みの正当性で、投げ返すことができると思われ
ます。

(Feb 2009)


自家製パン

ちょっと趣向を変えて、我が家で朝ごはんに食べるパンのレシピのご紹介。

材料は、以下の通りです。

*ハルユタカ(北海道産の小麦粉)
*天然酵母(元種を24時間発酵させたもの)
*自然海塩(日本の伝統的な製法で作った塩)
*ミネラルウォーター
*メープルシロップ
*お好みオプションで、レーズンやクルミ
*夏は自家製の乾燥タイムが季節のオプション

週に2回の頻度なので、ホームベーカリーを利用します。朝起きてしばらく
した時刻に焼き上がるようにセットしておきます。台所に近づくと完成前の
パンの香りがぷーんと漂ってきます。タイムを混ぜた時は、ハーブ特有の
乾いているような湿っているような微妙で香ばしい香りが台所やその回り
の空間を一杯に満たします。

我が家の朝食は、たいてい、このパンと、野菜(ジャガイモ、にんじん、
ピーマン、玉葱、ニンニク、トマト、マッシュルーム、冬にはセロリーなど)が
多すぎるくらい入った野菜スープ(ベースのスープストックは地鶏の手羽先
で)と、紅茶かコーヒー。時間がないときは、コーヒーを飲みながらパン
だけそのままムシャムシャ食べて済ませるか、あるいはパンには手を出さ
ずに相当に大きなカップ一杯の野菜スープとコーヒーや紅茶だけで済ませ
ますが、具沢山スープを前にすると、中学生かあるいは高校に入ったばか
りの時に習った Eat soup という表現を思い出します。「Drink soup とは言わ
ないので気をつけるように。」

(Feb 2009)


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不況は漉し網(こしあみ)

大きな不況は漉し網(こしあみ)です。不況になると、企業も一般消費者
も購入や消費を控えます。

一般消費者向けの漉し網には2種類ありそうです。ひとつは、購買対象
品目はそのままにしておいて不況の程度に応じてより安いものだけを
通過させるような性格の漉し網と、もうひとつは、いままでつきあってきた
対象をこれからも通過させる品目とこれからは通過させない品目とに分け
て不要なものは今後は消費の網の目を通さないといった性格を持つ
切捨て型の漉し網です。

二つは互いに排他的というよりは、並存する二つの大きな焦点で、僕たち
はそのどちらかに重心を寄せながらその中間領域で生活していくのだと
思います。

配偶者と僕は、以前から切捨て型です。「今後これには手を出さない」と
決めたあと1年ほどして「ハハハ、間違い、リセット・クリア」という場合も
ありますが、消費対象を、それが形のあるものにせよないものにせよ、
今後も要るものと今後は要らないものに分離しその分離を継続するのは
わりに得意です。捨てたものに使っていたお金は、余裕がある場合は、
残すものの方に振り向けます。残すものとは、僕たちにとって、附加価値の
高いものです。別の意見をお持ちの方には失礼になるかもしれない
シンプルなたとえ方をすれば、残したお金の振り向け先はコンビニ弁当
ではなくて、大きさがふぞろいな有機野菜です。

作る側・供給する側にとっては商品企画はうんざりするくらい難しくなります。
ある商品カテゴリー、あるいはそのサブカテゴリーが消滅する場合もありま
す。急速に提供製品の絞込みを行っている製造会社があります。世の中が
どう動こうとそうした変化に機敏に対応するので問題なし、と断言する流通
業者もいます。僕の好みは切捨て型で、切捨て型の視点からすると、附加
価値の大きいものに残ってほしいと思います。

ただ、この場合の附加価値の大きなものとは、売値マイナス原価という
計算式から出てくる計数的な附加価値だけでは決してなく、それに、たと
えば、伝統的な食材生産に見られるような作り手の手間と良心的な育て方
や作り方が付け加わったもののことです。これらに対する追加的な支出の
ためには、他の不要なものはもっと切捨ててもいいかなと思っています。

こんな考えを述べていると、懸命に有効需要を作り出そうとしている方々
に、にらまれそうですが・・・。

(Feb 2009)


捨てる

知り合いの奥さん。いろいろと買い込むのが趣味。

その御主人、自分が不要と判断したものはなんでもゴミと
定義して、パッパッと捨てるのが趣味。

そのお嬢さん、「お母さん、そんなところでゴロゴロしている
と、お母さんも捨てられちゃうよ。」

(Feb 2009)


レディース・ランチ

週日の駅ビルの天麩羅屋。お昼ご飯。僕は入り口の案内で見た手ごろな
価格の天丼を注文。メニューに目をやると大きな字で「レディース・ランチ」。
内容は、ちょっと贅沢な材料の天麩羅数種と、そしてグラスビール。目が
点になりました。

バブルの頃は、ビールつきのお昼ごはんメニューが巷にあふれていました
が、今は、どんな女性がこのビールつきのレディース・ランチを召し上がる
のでしょうか。周囲を押さえた好奇心で見回しましたが、残念ながら、グラス
ビールの乗ったテーブルは見当たりませんでした。売れないものは、メニュ
ーに大きな字では載せないと思うので、固定客はそれなりにいらっしゃるの
でしょう。

このメニューのお客がアクティブシニア層の女性なら、札幌の消費経済の
下支えのためには、うーん、いいのかもしれません。

(Feb 2009)


黒大豆の洗練

あまりの洗練に驚愕しました。

枯れ木も山の賑わいの立場で出席した立食パーティーの一角で、主催
者が応援している加工食品が、いくつかのグループに分かれて展示され
ていました。そのひとつは札幌近郊の大豆を使った加工食品のグループ
です。

そのグループに割り当てられたテーブルに、小さな一人用パッケージに
詰められた加工黒大豆が何種類か並んでいました。そのひとつがとても
美人に見えたので、ひっくり返して裏に貼られた商品ラベルを読むと、
『名称:農産加工品、原材料:黒大豆(北海道・当別町産<遺伝子組み
換えでない>)』という至ってシンプルな内容でした。そのメーカー独自の
方法で熱を加え焼き上げただけの黒大豆のようです。熱と黒大豆以外に
何もなし。

その場で食べるわけにはいかなかったので、自宅に帰り着くなり、配偶者
を呼んで、突然の試食会の開始です。4-5個を口に放り込んでバリバリ。
配偶者もバリバリ。なんという洗練の味でしょう。次の4-5個も続けて
バリバリ。二人の感想に差はありませんでした。僕は立食パーティーでは
飲み物以外はまず口にしないので、食後のお茶菓子気分でバリバリした
のではありません。

そのまま残りを食べ終わるにはもったいないので、ウイスキーグラスを
準備。残りを夕食前のウイスキーと一緒に楽しみました。それにしてもな
んとシンプルでなんと洗練された味なのでしょう。ホテルのバーの止まり木
にいるオヤジたちを、しばらくの間、黙らせてしまうようなお酒のパートナー
だと思います。

(Feb 2009)


ちょっとモヤシのパンジー

3-4日最低気温がマイナス7度から8度の日が続くという予報があった
ので外の簡易ビニールハウスから家の中へ8鉢をちょうど4日間避難さ
せました。避難場所は玄関の土間などです。お客様はこの8鉢のズラッ
を目にすると、この季節にパンジーか、と少しは驚かれるだろうというサ
ービス精神もあります。

これがちょっと失敗。今回の避難までは美しい廩とした容姿だったのに、
ボーと暖かい場所で光が不足したせいか、たった4日間で半分がみっと
もないもやし状態を呈しています。急に背が伸びた感じです。「この馬鹿
たれ」と怒鳴りつけましたが後の祭り。中には、茎と花の間の部分が延び
すぎて、その部分が花の自重で折れ曲がりそうになっているのもいます。

容姿のあまり変わらないのも半分いるので、それが救いですが、今回ボー
と背伸びしてしまった奴にも、間延びしてしまった部分はそのうち摘み取る
ことにして、外の適当な冷気と太陽の光があれば、またしっかりとした茎
や花が復活するでしょう。

「誰かさん以上に手がかかる」と配偶者に言ったら、睨まれました。

(Jan 2009)


オリーブオイル

国産オリーブオイルの出荷がやっと始まりました。オリーブの収穫時期が
遅かったせいか、今年は例年より出荷がゆっくりしていますが、収穫量は
去年より多いようです。昨年の秋に収穫されたオリーブから作られた圧搾
絞りのオリーブオイルです。瀬戸内海に浮かぶ香川県小豆島に古くからあ
るお醤油屋さんの、オリーブ部門の商品で、以前に予約してあったのが
先週末に宅急便で届きました。この伝統的な作り方の小豆島オリーブ
オイルとは結構長いおつきあいです。

透明な緑色が美しいオイルです。サラダのドレッシングやパスタのような
加熱料理に活躍します。それからバターの替わりのパンの友。

(Jan 2009)


僕の好きなウイスキー

特定の商品名を、この「時節の雑感」コーナーでは、褒めるにしろ、その逆にしろ
直接書くことは今まで避けてきましたし、これからもおそらくないと思いますが、
どうしても好きなウイスキーのことを書きたくなりました。気の利いたバーでは置い
てあるのでしょうが、バーで過ごす時間も非常に少なくなったせいか、もっぱら自
宅で楽しんでいます。今回だけはルール違反を犯して名前を出して賛美しようと
思います。

僕の大好きなウイスキーはニッカウヰスキーの「竹鶴12年ピュアモルト」です。
2年ほど前からなじみになりました。それまではあるブランドのスコッチを主に、
もうひとつのブランドのスコッチを従にして、飲み続けてきました。

12年ものではなく、もっと長い年月をかけてもっと熟成させた竹鶴バージョンも
ありますし、もっと深い味わいを持っているのでしょうが、僕にとって12年物は
毎晩楽しむにはとても適正なコスト・パフォーマンスの商品です。少し小さめで重
量感のあるストレート用グラスに五分の一ほど注ぎ入れます。華やかな香りが
グラスのまわりの1~2メートル四方にふわりと漂います。ひと口、ゆったりと味
わいます。ほっと、幸せな気分になります。また、ひと口分、口に含みます。ゆっ
たりと転がして、ゆっくりと咽喉を通します。幸せな気分が深くなります。そのと
き、本を手にしていたら、活字を拾う速度が少し上昇するか、それとも目は活字
にとどまったまま、心はそのページの言葉に触発されて距離の隔たった別のこ
とを考え始めます。想念がたゆたいます。

このウイスキーは仙台宮城峡蒸留所のモルトと北海道余市蒸留所のモルトを
混ぜ合わせた (Vatting) のでピュアモルトと呼ばれるそうです。『力強い余市モ
ルトと華やかな宮城峡モルト』『力と華の贅沢な出会い』というのが竹鶴の商品
コピーですが、その通りだと思うのでそのまま引用しました。

ついでに、僕の好きなビールはサントリーのモルツ。14~15年前からのファン
です。若干のこだわりは瓶ビールであること。自宅ではそれ以外は飲みません。
外では出されたものをおいしくいただきます。ビール瓶や一升瓶は酒屋に返す
とお金になります。この手の容器は、昔からリサイクルのプロセスが、地味です
が、しっかりと定着しています。

ずっと作り続けてください。

(Jan 2009)


落花生と節分

節分が近づいてきたので、デパートの食品売り場やお菓子売り場では、
豆まき用の豆を売り始めています。僕たち(配偶者と僕)が札幌で最も
驚いたことのひとつは、節分の豆に「大豆」ではなく「カラつきの落花生」
を使うことです。売り場に並べてあるのを見ると、ラベルに千葉県産と
あります。千葉県は落花生の大産地ですから、これはとくに不思議は
ありません。

もうひとつのびっくりは、桜の花の下でいかにも楽しそうに食べている
ジンギスカン鍋。その光景を初めてみたのは、北海道大学のキャンパス
ですが、その時は、学生が悪乗りして羊肉の鍋を、桜の花びらが舞う中
で、つついているのだろうと考えました。知り合いから、それが北海道の
伝統だと教えてもらうまで、しばらくの間は、有り得ないことだと思ってい
ました。そして、もうひとつの驚きは、ゴールデン・ウィークあたりに、梅と
桃と桜が、同時にそして一斉に花開くというにぎやかな現象です。「梅は
咲いたか、桜はまだかいな」とはちょっと違う世界です。

閑話休題。

節分は、季節を分けるという意味なので年に4回あり、立春、立夏、立秋、
立冬の前日がそれぞれ節分ですが、伝統的にお馴染なのは立春の前日
の節分。そして、2月の節分では「鬼は外、福は内」の声と豆まきというこ
とになっていますが、僕にはどうもピンと来ません。配偶者は鬼も、豆まき
も、柊(ヒイラギ)も、鰯(イワシ)も好きみたいです。

どこでそれを耳にしたのか、あるいは読んだのか正確な記憶はありませ
んが、僕が大切にしている節分の意味は次のようなものです。お正月の
意味と関連しています。書物から入った知識だとすれば、おそらく密教関
係のものです。

我々の世界にはヤマとサトがあります。ヤマには、サトにはない霊の力が
満ち、魂の力が満ちています。その力を象徴的に表現したのがオニです。
年に一度、お正月に、オニは人々の住むサトに降りてきます。オニを迎え
いれるためのヤマのシンボルが門松です。オニはしばらくの間サトに滞在
し、霊の力や魂の力をサトに与えます。やがてオニはヤマに帰ります。
その日が節分です。オニがヤマに帰るためにサトの外に出て行くので、
鬼は外、です。

(Jan 2009)


板付きと竹輪

かまぼこのことを板付きといいます。板のない「笹かまぼこ」のようなかまぼこ
もありますが、かまぼこは僕にとっては板付き。細いまっすぐな竹に魚のすり身を
巻きつけて焼いたので、竹輪(ちくわ)。竹に巻きつけた竹輪(ちくわ)は、
残念ながら最近はほとんど見かけません。必要以上に製造に手間がかかるので
しょうか。それとも食べるときに竹を外すというひと手間かかるので、消費者が
嫌がるのでしょうか。「板付き」かまぼこは、ありがたいことに健在です。別々の
板とかまぼこをパッケージングして板付きもどきで売っている商品を時々見かけ
ますが、噴飯モノを通り越して怒りがこみ上げてきます。

北海道産のおいしい板付きと竹輪と、それから魚の練り物のおでん種が食べ
たいのですが、今まで、残念ながらそれらに出会えていません。デパートの
食品売り場や水産加工品の専門店をめぐり、それなりに時間とお金を使い、また
インターネットなどで調べて素材の良さや良心的な加工の仕方や狙いの顧客層が
気にいったものはその製造会社まで電話して取り扱い店舗を教えてもらい、その
売り場まで買いに出かけたこともありますが、どうも味に満足できません。だから、
おいしいのが欲しいときには、残念ながら、東京や小田原や出雲から取り寄せる
ことになります。うーん。

(Jan 2009)


わがままな消費者

僕は、食べ物の消費者としては、おいしくて僕たちの体が喜んで食べられる
もの、だから、知り合いにも自信をもって薦められる食材や加工品にこだわり
を持っていますが(実際には、尋ねられない限り薦めたりはしませんが)、
消費者にもさまざまな指向性があるので、僕と異なった味感覚や考え方を持つ
人には僕たちの指向性はわがままと映るかもしれません。

マーケティングの教科書やそれに類する書物には「商品や製品は市場ニーズや
消費者ニーズを反映すること、市場ニーズ・消費者ニーズを十分に織り込んだ
商品が成功する」といった意味合いの一節が必ず出てきます。議論を食べ物に
限定しても、僕と相当に隔たったニーズをもっている人たちがいるわけで、
そういう場合には、「セグメントごとの細分化されたニーズへの全体的ないし
選択的ないし焦点を絞り込んだ対応をとることが必要である」という文章が
たいていはその一節に続きます。

供給側は事業存続のためにはどこかで消費者ニーズと折り合いをつける必要
があるのですが、消費者ニーズというものがとてもわがままで、僕や僕の一部も
そのなかにあって、あとで振り返るとそのニーズは総体として間違えていた、
といった状況にあるのかもしれないと時々考えます。もしそうなら、供給側の
まじめな人たちは不本意な折り合いを強いられており、幸せではないということ
になります。

日本の食料自給状況や食べ物の安全・安心に関する議論は盛んですが、
現在の食べ物の売れ筋商品がつくる大きな流れを見ていると、僕の一部も
その大きな流れに確実に組み込まれているのだろうなと思います。しかし、
同時に、僕の中で「素朴な違和感」が、この流れにすっきりしないものを
感じています。

なぜなら、我が家では、自分たちで選んだ素材や加工品を使った家庭料理が中心
なので、稀に行く少数のお気に入りの場所での食事以外の外食は非常に少ないし、
お昼も差し支えない範囲で自家製弁当を食べるようにしているのですが、時間に
追われたときに簡単に済ませる外食や、時間がない場合に買い求める巨大流通
経路のおにぎりなどを大きな流れの売れ筋商品とすると、そのような売れ筋を
食べた時には、たとえばその最中に僕の舌が、あるいは次に日に、僕の体の他の
部分が、なんか変だぞ、というメッセージを発することがあるからです。

これも僕という個体のわがままなのかもしれませんが、「素朴な違和感」を大切に
する身としては、これを飼いならしていこうと思っています。

(Jan 2009)(Feb 2009)


真冬のパンジー

昨日の明け方はとても冷え込むという予報だったので、一昨日の夜遅く、
パンジーの鉢を簡易ビニールハウスから家の中に、全部、搬入。昨日の
朝は、陽光がいっぱいだったので、よかったねえと話しかけながら、あた
ふたと、またビニールハウスに引越し。今日も朝のまぶしい光がいっぱい。
冬越しが無事にできそうです。

(Jan 2009)


赤い美人

北海道の魚(北海道でしか獲れない魚や北海道でよく獲れる魚のこと、イカ
やタコなどは除く)には、「アンコウ・カジカ・カレイ・ヒラメ・キチジ・クロマグロ・
サケ・サンマ・シシャモ・ソイ・タラ・ニシン・ハタハタ・ハッカク・ホッケ・イワシ・
メヌケなど」があるようですが、僕の独断と偏見では、そのベスト・ツーは、
なんといっても「キチジ(売り場ではキンキ)」と「メヌケ(売り場では目抜き鯛)」
です。この二種類の白身魚の前ではあとの魚は霞んでしまいます。

値段の結構張るものなので、旬の時期に頻繁に食べるというわけには
いきませんが、刺身でも、焼いても、煮ても、どんな調理方法でも食する
者を幸せにしてくれます。両方とも鮮やかな赤い色をしています。

北海道の魚ではありませんが、「アカムツ(赤いのでアカムツ、売り場では
のどの部分が黒いのでノドグロ、とも呼ばれています)」を加えると、日本の
魚のベスト・スリー。アカムツも、白身魚で、刺身でも、塩焼きでも、煮付けで
も、一夜干しでも、どんな料理法でも大丈夫。色は、キンキや目抜きと比べ
るとピンクに近くなります。姿かたちは三種類のなかでは一番の美人です。
すみません、少し訂正します。キンキや目抜きが妖艶な美女だとすると、
アカムツは清楚な美人といった違いがあります。三種類のうちどの魚が一番
おいしいかは、食べる人次第です。僕の一番の好みは・・・。内緒にしておき
ます。

(Jan 2009)


1月は春

本当は1月が年間で一番平均気温が低いみたいですが、1月も中旬になると、
心理的には春の気分です。2月上旬の雪祭りが終わると気温もすこし緩んで
春がそばにいるのを実感できますが、1月中旬の晴れの週末の遅めの午前中
などの方がより春の接近を感じさせてくれます。1月は春の気分です。でも外を
歩くと、「おお、寒。」

(Jan 2009)


伝統レシピに脱帽

カジカという体長40~50cmの、カジカ君には申し訳ありませんが、顔
かたちが不器量というか不細工というか、そんな魚がいます。カジカに
は海のカジカと川のカジカがいるそうで、そういえば東京郊外の浅い山
の渓流で小さいカジカを見た記憶があります。

ここでは海のカジカの話です。鍋物に最適の素材とは聞いていましたが、
まだ食べたことがありません。ポン酢仕立てで食べたら旨いに違いない
と思い、あまり乗り気でない配偶者と一緒に魚売り場でカジカを物色しまし
た。いつも素材の選択や下ろしでお世話になっている売り場のおばさんや
おじさんにポン酢で食べてみようと思うと言ったら、カジカは味噌汁にして
食べるものだ、と断言されてしまいました。

僕が、丸モノを見ながら疑わしそうな表情を浮かべていたら、適量のぶつ
切りが入ったパックを指差して、まずこれで試してみたらどうですか、味噌
汁ですよ、と念を押されました。

その夜に、早速、実験です。

まず、ポン酢で食しました。不合格。ポン酢は断念。次に、味噌仕立て煮
込み風にその場で修正。待つこと、暫し。なんとも、スープがおいしい。カ
ジカの役割は、どうも、味噌汁のダシに尽きるようです。身や皮の部分も
入れてしいて全体を例えたら、豚汁の魚バージョンですね。

あとで調べたら、カジカ汁のことをナベコワシというそうです。カジカ汁が
あまりにおいしいのでみんながナベを突っついてしまいナベが壊れるので、
ナベコワシというのだそうです。カツオの塩辛を酒盗といいますが、酒の肴
としてあまりに美味なので、足りなくなったら近所からお酒を盗んでくるほど
なので、酒盗。同じ乗りです。ナベコワシの伝統的なレシピに脱帽です。

(Jan 2009)


Unforgettable

雪の休日の夕方、小型の個人タクシーを拾いました。行き先を言うと、
僕と同年輩の男性運転手がカーステレオの後部座席用スピーカーの
音量を適度に大きくしてくれました。流れてきたのは、女性ボーカルの
Unforgettable。乾いていて、そして、しっとりしていて、うまいなあ、と思い、
そのまま聴いていました。

3曲聴いたところで目的地が近づいてきたので、「この歌手はなんという
名前ですか。」「ジャニス・シーゲル。・・・お客さん、マンハッタン・トランス
ファーはご存知ですか。」「ええ、一応。」「マンハッタン・トランスファーの
女性ボーカリストです。」「うまいですねえ。」「ヘレン・メリルもちょっと
飽きてきたので、近頃は、もっぱらジャニス・シーゲル。」「そういう線が
お好みですか。」

こういうタクシーにめぐり合わせると、幸せな気持ちになります。歌詞に
ちなんで It was an unforgettable taxi。

(Jan 2009)


数の子の不思議

昨年は鰊(ニシン)が30年ぶりの大漁だというニュースが何度も流れました。
しめしめ、おせち用に北海道産の数の子がそれなりに買いやすい値段で
魚売り場に並ぶのではと期待していましたが、期待通りにはなりませんでした。

北海道産の数の子は販売量も少ないし、価格も輸入物のちょうど2倍。
鰊が急にいっぱい獲れたからといって、数の子を急に増産するものでは
ないのでしょう。きわめて季節性の強い食材なので、例年並みの消費量を
想定し、生産量をそれにあわせたのでしょうか。それとも、留萌などの加工
能力が追いつかなかったのでしょうか。いずれにしても、もっと食べたかった、
と今でも悔しい思いです。我が家で買ったのは、北海道産・留萌加工と
ラベルに書かれたもの。

で、本当の事情は、どうだったのだろうと、好奇心からランダムに調べて
みました。

一部の地域では信じられない大漁ですが、北海道全体としては鰊の水揚げ
は不振だったようです。キーワードは、どうも、大回遊性ニシンと地域性ニシン。

『北海道の厚岸は今年、ニシンの大漁に恵まれた。1月以降、これまでに
370トンもの漁獲があった。これは眼を見張るべき量である。300トン台に
達したのは、1974(昭和49)年依頼のことであり、なおかつ過去33年間の
総水揚げを上回るニシンがこの1年でとれたのだ。』(産経新聞、2008/12/15)

『昭和57年から厚岸ニシン資源を栽培漁業によって回復させるための
技術開発に取り組み、当時10トン以下であった漁獲量は平成20年には
300トンを超えるまで回復してきました。』(水産総合研究センター北海道区
水産研究所・厚岸栽培技術開発センター、村上直人氏)

『道内ニシン水揚げ低迷: 昨年(1月~10月)の道内ニシンの水揚げは
不振に終わった。 主力となる北見地区の大幅減産が響き、前年比6割減
となった。ただ、釧路など健闘した地域も。浜値は薄漁で高騰した。』
(水産新聞、2009/01/01)

北海道産数の子が高くて品薄だった背景がなんとなくわかりました。

数の子はさておき、鰊漬けの話です。昨年の11月頃にご近所からいただ
いた自家製鰊漬けがとても美味でした。初めての味でしたが、2-3日で
食べきってしまいました。その奥様によれば、今年は例年よりも短い日数で
漬けあがったので驚いた、とのことでした。緩やかに暖かいのかもしれません。

(Jan 2009)


袈裟懸け、あるいは斜め懸け

どの表現が一般的なのかあるいは正しいのか迷いますが、袈裟懸けないしは
斜め懸けないしは幼稚園懸けといわれる、ショルダーバッグの懸け方が
あります。ベルト部分が右肩にきて、バッグは左腰や左のお尻辺りにくる体を
縦の斜めに横切ったバッグの懸け方です。

雪道や凍った道では両手を自由にして歩かないと滑ったときに危ないので、
バッグ類は手に持つより肩にかけた方がいいのですが、左肩から左腰への
ストレートなバッグの懸け方はどうも具合が悪い。コートの上からだと、ベルト
部分がずり落ちないように絶えず気になって、結構うんざりします。別に雪道
でなくても、左肩から左腰へのストレートなバッグの懸け方はどうも疲れるの
で、ショルダーバッグは常に斜め懸けにしたいなとは以前から思っていました
が、残念ながら、手持ちのお気に入りはそういう風には作られていません。
ベルトが短すぎたり、バッグの腰の辺りでの落ち着きが悪かったり・・・。で、
斜め懸け用につくられた、本や携帯やメモ帳がすっきり納まるショルダーバッ
グを雪の日に買い求めました。メーカーによってはこんなニッチ商品もちゃん
と作っているのですね。

ブレザー&ネクタイのときにも心理的な抵抗の少なそうなデザインを選びまし
たが、冬のコートと一緒だと、格好はほとんど気になりません。

ちょっと、いい気分です。

(Jan 2009)


冬のパンジー

外気温がマイナスになると、そのままでは生きていけないので、12月
からは簡易ビニールハウスに引っ越しさせました。黄色、オレンジ、レ
モン、白、赤紫、紫、濃い紫、青紫の花がそれぞれ咲いた丸鉢が8つ、
上下二段に並んでいます。

気象台発表の最低気温がマイナス5度、最高気温が1~2度くらいな
ら、そのまま簡易ビニールハウスで大丈夫。しかし、気温がマイナス
5~6度以下になると、寒さでダウンしてしまうので (まず、クタンと
なって、次に凍ってしまうので)、そういう場合はビニールハウスに設
置した温度計で内部気温をチェックし、零度近辺だと、次の朝まで暖
かい室内に緊急避難。ただし、そのまま室内に置いておくと、モヤシ
状態になるので、鍛えるために次の日はまた外のビニールハウスへ
持ち出します。

寒い夜中に運び入れるのは勢いのいる作業ですが、毎朝、ぴんとした
色を見ると幸せな気分になるので、まあ、我慢です。

(Jan 2009)


強い知性

最近の日本も、捨てたものではないな、満更でもないな、と思います。
ここ数年で僕にとっては新しいタイプの知性と洞察力の持ち主に三人も
出会えたからです。出会いは、書物(および、インターネット)という活字の
世界を通してです。三人とも年齢が知性と洞察力をますます強化・深化さ
せているような印象を受けます。

副島 隆彦氏 (1953年生まれ)
鬼塚 英昭氏 (1938年生まれ)
藤永 茂  氏 (1926年生まれ)

各氏の生年月日は著書上の著者略歴から持ってきました。)三人の並びは、
年齢の若い順ではなくこの三人の著者の複数の著作物のひとつを僕が最
初に購入した日付の古い順です。

通常の権威あるとされる著作物や一般的な報道情報を通しては、あるいは
それらを平板に眺めているだけでは見えてこない世界、日常的には非常に
見えにくい・見えにくくされている世界の「見える化」に情熱をもっておられる
方々です。そうした世界には、政治・経済が軸となる世界と形而上学的な視
点が軸になる世界の両方がありますが、三人の著作物の実際的な内容の
現われとしては今のところ、政治や経済や、政治文脈での文化や宗教にか
かわる世界が中心のようです。

素朴な違和感を大切にしたい僕には、大きな刺激となっています。

(Dec 2008)


わがまま味のおせち

今年までの数年間は、一部の自家製部分を除いて、主要部分はプロの味を
楽しもうと百貨店経由でおせちセットを買い求めていましたが、どうも飽きてき
たので、来年用には配偶者がまた自家製を用意することになりました。この数
年間楽しんだプロの知恵が発揮された部分は表層部分だけでもひそかにまね
をしますが、来年の自家製には僕のわがままな好みを大幅に取り入れます。

日持ちさせるための伝統的な甘い味付けは禁止。僕が好きでないものはとも
かく排除。たとえば、きんとんは不要。田作りは絶対にピリカラ味、海老やうなぎ
やにしんなどは除外。鯛の酢締めや大根と人参のなますは大好きな必需品。
昆布巻きは内側のパートナーがいないほうが好み。数の子やくわいも必需品。
お煮しめは好物なのでこれも必需品。だて巻は、配偶者が熱意を持っている
ので、甘くなければ、という条件付でメンバーに加入。黒豆も忘れないようにし
ないと。ひらめの昆布締めは、普段よく食べるメニューですが、これも必需品
として用意。

さて、今回はどんなおせちが重箱に盛り付けられるでしょうか。大晦日の夜に
結構食べてしまうかもしれません。しかし、新しい年の二日目にうんざりしながら
箸を取るということは、来年は、なくなりそうです。

(Dec 2008)



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